ん》拾得《じつとく》」と云《い》ふ話《はなし》は、まだ書肆《しよし》の手《て》にわたしはせぬが、多分《たぶん》新小説《しんせうせつ》に出《で》ることになるだらう。
子供《こども》は此《この》話《はなし》には滿足《まんぞく》しなかつた。大人《おとな》の讀者《どくしや》は恐《おそ》らくは一|層《そう》滿足《まんぞく》しないだらう。子供《こども》には、話《はな》した跡《あと》でいろ/\の事《こと》を問《と》はれて、私《わたくし》は又《また》已《や》むことを得《え》ずに、いろ/\な事《こと》を答《こた》へたが、それを悉《こと/″\》く書《か》くことは出來《でき》ない。最《もつと》も窮《きう》したのは、寒山《かんざん》が文殊《もんじゆ》で、拾得《じつとく》は普賢《ふげん》だと云《い》つたために、文殊《もんじゆ》だの普賢《ふげん》だのの事《こと》を問《と》はれ、それをどうかかうか答《こた》へると、又《また》その文殊《もんじゆ》が寒山《かんざん》で、普賢《ふげん》が拾得《じつとく》だと云《い》ふのがわからぬと云《い》はれた時《とき》である。私《わたくし》はとう/\宮崎虎之助《みやざきとらのすけ》さ
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