だと云《い》ふと同《おな》じやうになる。近頃《ちかごろ》歸《き》一|協會《けふくわい》などでは、それを子供《こども》のために惡《わる》いと云《い》つて氣遣《きづか》つてゐる。
寒山詩《かんざんし》が所々《しよ/\》で活字本《くわつじぼん》にして出《だ》されるので、私《わたくし》の内《うち》の子供《こども》が其《その》廣告《くわうこく》を讀《よ》んで買《か》つて貰《もら》ひたいと云《い》つた。
「それは漢字《かんじ》ばかりで書《か》いた本《ほん》で、お前《まへ》にはまだ讀《よ》めない」と云《い》ふと、重《かさ》ねて「どんな事《こと》が書《か》いてあります」と問《と》ふ。多分《たぶん》廣告《くわうこく》に、修養《しうやう》のために讀《よ》むべき書《しよ》だと云《い》ふやうな事《こと》が書《か》いてあつたので、子供《こども》が熱心《ねつしん》に内容《ないよう》を知《し》りたく思《おも》つたのであらう。
私《わたくし》は取《と》り敢《あ》へずこんな事《こと》を言《い》つた。床《とこ》の間《ま》に先頃《さきころ》掛《か》けてあつた畫《ゑ》をおぼえてゐるだらう。唐子《からこ》のやうな人《ひと》
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