が二人《ふたり》で笑《わら》つてゐた。あれが寒山《かんざん》と拾得《じつとく》とをかいたものである。寒山詩《かんざんし》は其《そ》の寒山《かんざん》の作《つく》つた詩《し》なのだ。詩《し》はなか/\むづかしいと云《い》つた。
 子供《こども》は少《すこ》し見當《けんたう》が附《つ》いたらしい樣子《やうす》で、「詩《し》はむづかしくてわからないかも知《し》れませんが、その寒山《かんざん》と云《い》ふ人《ひと》だの、それと一《いつ》しよにゐる拾得《じつとく》と云《い》ふ人《ひと》だのは、どんな人《ひと》でございます」と云《い》つた。私《わたくし》は已《や》むことを得《え》ないで、寒山《かんざん》拾得《じつとく》の話《はなし》をした。
 私《わたくし》は丁度《ちやうど》其《その》時《とき》、何《なに》か一《ひと》つ話《はなし》を書《か》いて貰《もら》ひたいと頼《たの》まれてゐたので、子供《こども》にした話《はなし》を、殆《ほとんど》其《その》儘《まゝ》書《か》いた。いつもと違《ちがつ》て、一|册《さつ》の參考書《さんかうしよ》をも見《み》ずに書《か》いたのである。
 此《この》「寒山《かんざん》拾得《じつとく》」と云《い》ふ話《はなし》は、まだ書肆《しよし》の手《て》にわたしはせぬが、多分《たぶん》新小説《しんせうせつ》に出《で》ることになるだらう。
 子供《こども》は此《この》話《はなし》には滿足《まんぞく》しなかつた。大人《おとな》の讀者《どくしや》は恐《おそ》らくは一|層《そう》滿足《まんぞく》しないだらう。子供《こども》には、話《はな》した跡《あと》でいろ/\の事《こと》を問《と》はれて、私《わたくし》は又《また》已《や》むことを得《え》ずに、いろ/\な事《こと》を答《こた》へたが、それを悉《こと/″\》く書《か》くことは出來《でき》ない。最《もつと》も窮《きう》したのは、寒山《かんざん》が文殊《もんじゆ》で、拾得《じつとく》は普賢《ふげん》だと云《い》つたために、文殊《もんじゆ》だの普賢《ふげん》だのの事《こと》を問《と》はれ、それをどうかかうか答《こた》へると、又《また》その文殊《もんじゆ》が寒山《かんざん》で、普賢《ふげん》が拾得《じつとく》だと云《い》ふのがわからぬと云《い》はれた時《とき》である。私《わたくし》はとう/\宮崎虎之助《みやざきとらのすけ》さ
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