≠獅≠汲潤@を連れて来たと云つた。
 ロダンは這入つて来た男を見た時も、その詞を聞いた時も、別に顔色をも動かさなかつた。
 いつか Kambodscha の酋長が巴里に滞在してゐた頃、それが連れて来てゐた踊子を見て、繊く長い手足の、しなやかな運動に、人を迷はせるやうな、一種の趣のあるのを感じたことがある。その時急いで取つた dessins が今も残つてゐるのである。さういふ風に、どの人種にも美しい処がある、それを見附ける人の目次第で美しい処があると信じてゐるロダンは、此間から花子といふ日本の女が 〔varie'te'〕 に出てゐるといふことを聞いて、それを連れて来て見せてくれるやうに、伝を求めて、花子を買つて出してゐる男に頼んで置いたのである。
 今来たのはその興行師である。〔Impre'sario〕 である。
「こつちへ這入らせて下さい」とロダンは云つた。椅子をも指さないのは、その暇がないからばかりではない。
「通訳をする人が一しよに来てゐますが。」機嫌を伺ふやうに云ふのである。
「それは誰ですか。フランス人ですか。」
「いゝえ。日本人です。L'Institut Pasteur で為事をしてゐる学生ですが、先生の所へ呼ばれたといふことを花子に聞いて、望んで通訳をしに来たのです。」
「宜しい。一しよに這入らせて下さい。」
 興行師は承知して出て行つた。
 直ぐに男女の日本人が這入つて来た。二人共際立つて小さく見える。跡に附いて這入つて戸を締める興行師も、大きい男ではないのに、二人の日本人はその男の耳までしかないのである。
 ロダンの目は注意して物を視るとき、内眥に深く刻んだやうな皺が出来る。この時その皺が出来た。視線は学生から花子に移つて、そこに暫く留まつてゐる。
 学生は挨拶をして、ロダンの出した、腱の一本一本浮いてゐる右の手を握つた。〔La Danai:de〕 や Le Baiser や Le Penseur を作つた手を握つた。そして名刺入から、医学士久保田某と書いた名刺を出してわたした。
 ロダンは名刺を一寸見て云つた。「ランスチチユウ・パストヨオルで為事をしてゐるのですか。」
「さうです。」
「もう長くゐますか。」
「三箇月になります。」
「〔Avez−vous bien travaille'〕 ?」
 学生ははつと思つた。ロダンといふ人が口癖のやうに云ふ詞だと
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