て飾りたるあり。棚の上には小さき、柄《え》の長き和蘭陀《オランダ》パイプを斜《ななめ》に一列に置きあり。その外小さき彫刻品、人形、浮彫の品《しな》等《とう》あり。寝椅子の末《すえ》の処に一枚戸の戸口あり。これより寝間《ねま》に入《い》る。その傍《そば》に、前へ寄せて、人の昇りて立つようにしたる台あり、その半ばを屏風《びょうぶ》にて隠しあり。台の上には緋《ひ》の天鵞絨《びろうど》に金糸の繍ある立派なる帛を投げ掛けあり。ずっと前に甚だ大いなる卓《たく》あり。これは為事机に用いるものにて、紙、文反古《ふみほご》、書籍、その他《た》色々の小さなる道具を載せあり。その脇に書棚ありて、多くは淡《あっさ》りしたる色の仮綴《かりとじ》の本を並べあり。○この画室は町外《まちはずれ》にあり。時刻は午《ひる》少し過ぎたる頃《ころ》なり。窓の外には鼠色《ねずみいろ》の平《たいら》なる屋根、高き春の空、静《しずか》に揺ぐ針葉樹の頂を臨む。○画家ゲオルク・ミルネル。丈余り高からず。二十四歳ばかり。ブロンドなり。髪は柔かく、小さなる八字|髭《ひげ》を生やしいる。黒のフロックコオトに黒のネクタイ。服は着たるばかりなりと覚しく、手にて皺《しわ》を熨《の》すように撫《な》で、埃《ほこり》を払うように叩《たた》きつつ、寝間の戸を開けて登場。斯《か》く服をいじりて窓の処まで行《ゆ》き暫《しばら》く外を見て、急に向き返り、部屋の内を、何か探すように、歩き廻《まわ》る。さて絵具入の箪笥の上の鏡を見出《みいだ》し、それに向きてネクタイを直さんとし、鏡に五味のかかりいるを見て、じれったげに体を動かし、ハンケチを見出し鏡を拭《ふ》き、そのハンケチを椅子の上に投ぐ。さて鏡を手に取り、ネクタイを直す。
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画家。これで好《い》い。(安心したるらしき様子にて二三歩窓の方に行《ゆ》き、懐中時計を見る。)なんだ。まだ三時だ。大分《だいぶ》時間があるな。(絵具入の箪笥の処に立戻る。この箪笥は高机《たかづくえ》の半分位の高さになりおる。その上にある紙巻莨の箱を手に取り、小言のように。)五味だらけだ。何を取って見ても五味だらけだ。(紙巻を一本取る。○戸を叩く音す。何《な》んとも思わぬ様子にて。)お這入《はい》んなさい。(マッチを探す。ようようマッチの箱を見出し、マ
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