と云ふことがあるだらうと思ひます。西洋語の Orthographi eの orthos は正と云ふことであります。正しく書く法を Orthographie と云ふ。詞などと云ふやうなものも人の思想を表出するものであるから、正しいと云ふ詞を用ゐるのであります。正しいと云事《いふこと》は言へると思ふ。それから此の正と邪との關係と云ふことに連係しまして街道の譬と云ふものが頻《しき》りに本會に於て行はれて居る。昔の假名遣は舊街道である、其處《そこ》へ持つて行つて發音的の新しい假名遣が作られる、是れは便利なる横道である、何も舊い街道を正道として便利な新しい假名遣を邪道とすることはないと云ふのであります。此の話は少しく自分の見る所では事實に違つて居る樣であります。決してさう云ふ便利な新しい道が出來て居らないのであります。例之《たとへ》ば「つくゑ」と云ふ詞を見ましても、此wの子音に當る「う」と云ふ音、是が響かないのであります。其の響かないのを發音的に書くならば、誰が書いても「つくえ」と阿《あ》行の「え」を書いて居る筈《はず》であります。それならば新しい道が出來て居る譯で、それを認めてやつても宜しい譯であります。併し實際人の書いたのを見ましても、机の「ゑ」は阿行の「え」を書いたり、和行の「ゑ」を書いたり、波《は》行の「へ」を書いたり、有ゆる假名を使つて居ります。さうして見ると人民一般は田とも云はず畠とも云はず、道のない所を縱横に歩いて居るのであります。實に亂雜|極《きはま》つて居る、むちや[#「むちや」に傍点]であります。そこで若し文部省に於て新しく發音的に訂して行きまして、阿行の「え」を書けと云ふ新道を開きますと云ふと、さうすると今度は道が二條出來ます。人民は又二條のどれ[#「どれ」に傍点]にも由らずに縱横に田畠を荒して歩くかも知れないと思ふ。却て問題は複雜になつて來る。さう云ふ關係は獨り此の假名遣のみではありませぬ、文法|弖爾乎波《てにをは》にもございます。例之ば文部省で許容になつて居ります「得せしむ」と云ふ弖爾乎波がある。あれは「得しむ」と云ふ詞である。併し口語では決して「得しむ」も「得せしむ」もない。口語では「得させる」斯う云つて居る。「得さす」と云ふ詞になつて居る。だから口語の變遷即ち言語變遷には何の關係も無くして「得せしむ」と云ふ詞が生じて來た。何故生じて來たかと云ふと
前へ
次へ
全21ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング