沢|主水源政武《もんどみなもとのまさたけ》」と彫《ゑ》つた墓石がある。此主水の建てたものではなからうか。
 八世吉次郎は文化十三年の武鑑に始めて見えてゐる。「伊沢吉次郎、父主水三千二百五十石、三川だい」と寄合の部に記してあるのが是である。此より後文政三年に至るまでの五年間は、武鑑の記載に変更が無い。文政四年には寄合の部の同じ所に、次の代の助三郎が見えてゐる。
 九世助三郎政義は文政四年の武鑑寄合の部に、「伊沢助三郎、父吉次郎、三千二百五十石、三川だい」と記してある。此役が天保二年に至るまで続いて、三年には中奥小姓になつてゐる。六年には叙爵せられて摂津守と称し、猶同じ職にゐる。九年には美作守《みまさかのかみ》に転じて小普請支配になつてゐる。尋《つい》で政義は十年三月に浦賀奉行になつて、役料千石を受けた。十三年三月に更に長崎奉行に遷《うつ》されて、役料四千四百二俵を受けた。そして弘化二年に至るまでは此職にゐた。弘化三年の武鑑が偶《たま/\》手元に闕《か》けてゐるが、四年より嘉永五年に至るまで、政義は寄合の中に入つてゐる。嘉永六年十二月に政義は再び浦賀奉行となり、安政二年八月に普請奉行となり、三年九月に大目附《おほめつけ》服忌令分限帳改《ぶくきりやうぶんげんちやうあらため》となり、四年十二月に江戸町奉行となり、五年十月に大目附宗門改となり、文久三年九月に留守居となり、元治元年七月十六日に此職を以て歿した。法諡《はふし》して徳源院譲誉礼仕政義居士と云ふ。墓は新光明寺にあつて、「明治三十五年七月建伊沢家施主|八幡祐観《やはたいうくわん》」と彫《ゑ》つてある。
 徳さんは嘗て「正弘公懐旧紀事」を閲《けみ》して、安政元年に米使との談判に成つた条約の連署中に、伊沢美作守の名があるのを見たと云ふ。これは頃日《このごろ》公にせられた大日本古文書に見えてゐる米使アダムスとの交渉で、武鑑に政義の名を再び浦賀奉行として記してゐる間の事である。文書に拠れば、政義の職は下田奉行で、安政元年十二月十八日の談判中に、「美作守|抔《など》は当春より取扱居、馴染之儀にも有之」云々と自ら語つてゐる。
 十世助三郎は慶応武鑑の寄合の部に、「伊沢力之助、父美作守、三千二百五十石、三河だい」と記してある。新光明寺に顕享院秀誉覚真政達居士の法諡を彫つた墓石があつて、建立の年月も施主の氏名も政義の墓と同じである。或は政達が即ち力之助の諱《いみな》ではなからうか。

     その六

 わたくしは或日旗本伊沢の墓を尋ねに、新光明寺へ往つた。浅草広徳寺前の電車道を南に折れて東側にある寺である。
 六十歳ばかりの寺男に問ふに、伊沢と云ふ檀家は知らぬと云つた。其|言語《げんぎよ》には東北の訛がある。此|爺《ぢゞ》を連れて本堂の北方にある墓地に入つて、街に近い西の端から捜しはじめた。西北隅は隣地面の人が何やら工事を起して、土を掘り上げてゐる最中である。爺が「こゝに伊の字があります」と云ふ。「どれ/\」と云つて、進み近づいて見れば、今掘つてゐる所に接して、一の大墓石が半ば傾《かたぶ》いて立つてゐる。台石は掘り上げた土に埋もれてゐる。
「これは伊奈熊蔵の墓だ、何代目だか知らぬが、これも二千石近く取つたお旗本だ」とわたくしが云つた。爺は「へえ」と云つて少し頭を傾けた。「誰も詣る人はないかい」と云ふと、「えゝ、一人もございません」と答へた。
 伊沢の墓はなか/\見附けることが出来なかつた。暫くしてから、独り東の方を捜してゐた爺が、「これではございませぬか」と呼んだ。往つて見れば前に云つた「先祖代々之墓、伊沢主水源政武」と彫つた墓である。政武は七世|主水《もんど》であらうと前に云つたが、系譜一本に拠れば一旦永井氏に養はれたかとも思はれる。墓地の東南隅にあつたのだから、我々は丁度対角の方向から捜しはじめたのであつた。
 此大墓石の傍《かたはら》に小い墓が二基ある。戒名の院の下には殿《でん》の字を添へ、居士の上には大の字を添へた厳《いかめ》しさが、粗末な小さい石に調和せぬので、異様に感ぜられる。想ふに八幡某は旗本伊沢に旧誼のあるもので、維新後三十五年にしてこれを建てたのであらう。二基は即ち政義、政達二人の墓である。
 二人の中で伊沢政義は、下田奉行としてアダムスと談判した一人である。盛世にあつては此《かく》の如き衝に当るものは、容易に侯となり伯となる。当時と雖、芙蓉間詰五千石高の江戸城留守居は重職であつた。殊に政義が最後に勤めてゐた時は、同僚が四人あつて、其世禄は平賀|勝足《かつたり》四百石、戸川安清五百石、佐野|政美《まさよし》六百石、大沢|康哲《やすさと》二千六百石であつたから、三千二百五十石の政義は筆頭であつた。其政義がこの戒名に調和せぬ小さい墓の主である。「此墓にも詣る人は無いか」と、わた
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