って当番をゆるされ、父と一しょに屋根に上がって火の子を消していた。のちにせっかく当番をゆるされた思召《おぼしめ》しにそむいたと心づいてお暇《いとま》を願ったが、光尚は「そりゃ臆病ではない、以後はも少し気をつけるがよいぞ」と言って、そのまま勤めさせた。この近習は光尚の亡くなったとき殉死した。
阿部一族の死骸は井出の口に引き出して、吟味せられた。白川で一人一人の創を洗ってみたとき、柄本又七郎の槍に胸板をつき抜かれた弥五兵衛の創は、誰の受けた創よりも立派であったので、又七郎はいよいよ面目を施した。
大正二年一月
底本:「日本の文学3 森鴎外(二)」中央公論社
1972(昭和47)年10月20日発行
入力:真先芳秋
校正:進恵子
2000年2月14日公開
2001年1月22日修正
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