る丈で満足して、黙つてゐる。よしや口に出して非難する事があつても、露骨には言はないで巧みな辞令を用ゐるので、ブロンズ製の人形の野蛮な流儀では、所詮争ふ事が出来ないのである。
 或る時フアウヌスは始めてクサンチスを見た。その時の様子は、まるで百姓の倅が馴染の娘に再会したやうであつた。短く伸びた髯をひねつて、さも疑のない勝利を向うに見てゐるやうな、凝り固つた微笑《ほゝゑみ》を浮べて、相手の様子を眺めてゐたのである。
 そんな風に眺められて、クサンチスは腹を立てるかと思ふと、意外にもそのフアウヌスを見返す目附きが、嫌つてゐるらしくは見えなかつた。丁度その時公爵が傍にゐたので、かう云つた。
「あの土百姓があなたを、失敬な目附きをして見てゐるのに、あなたはなぜ人を好くして見返してお遣りになるのですか。」
「あら。土百姓だなんて。」女は少し不平らしくかう云つて、急に公爵の方を一目見た。その様子が二人を比べて見て、公爵の方が弱々しいと思ふらしく見えた。併し持前の気の変る事の早い女で、直ぐに又フアウヌスの事を忘れてしまつた。
 そして「あんな人なんか」と云つて形附《かたつき》の裳《も》を撮み上げて、ひ
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