ト公にしようとも思わなかった。勿論《もちろん》発見も発明も出来るならしようとは思うが、それを生活の目的だとは思わない。始終何か更にしたい事、する筈の事があるように思っている。しかしそのしたい事、する筈の事はなんだか分からない。或時は何物かが幻影の如くに浮んでも、捕捉することの出来ないうちに消えてしまう。女の形をしている時もある。種々の栄華の夢になっている時もある。それかと思うと、その頃|碧巌《へきがん》を見たり無門関《むもんかん》を見たりしていたので、禅定《ぜんじょう》めいた contemplatif《コンタンプラチイフ》 な観念になっている時もある。とにかく取留めのないものであった。それが病人を見る時ばかりではない。何をしていても同じ事で、これをしてしまって、片付けて置いて、それからというような考をしている。それからどうするのだか分からない。
そして花房はその分からない或物が何物だということを、強《し》いて分からせようともしなかった。唯《ただ》或時はその或物を幸福というものだと考えて見たり、或時はそれを希望ということに結び付けて見たりする。その癖又それを得れば成功で、失えば失敗だというような処までは追求しなかったのである。
しかしこの或物が父に無いということだけは、花房も疾《とっ》くに気が付いて、初めは父がつまらない、内容の無い生活をしているように思って、それは老人だからだ、老人のつまらないのは当然だと思った。そのうち、熊沢蕃山《くまざわばんざん》の書いたものを読んでいると、志を得て天下国家を事とするのも道を行うのであるが、平生顔を洗ったり髪を梳《くしけず》ったりするのも道を行うのであるという意味の事が書いてあった。花房はそれを見て、父の平生《へいぜい》を考えて見ると、自分が遠い向うに或物を望んで、目前の事を好《い》い加減に済ませて行くのに反して、父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注しているということに気が附いた。宿場《しゅくば》の医者たるに安んじている父の 〔re'signation〕《レジニアション》 の態度が、有道者の面目に近いということが、朧気《おぼろげ》ながら見えて来た。そしてその時から遽《にわか》に父を尊敬する念を生じた。
実際花房の気の付いた通りに、翁の及び難いところはここに存《そん》じていたのである。
花房は大学を卒業して官吏になって、
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