ネ台を据えて、盆栽を並べて置くのは、この室の前の庭であった。病人を見て疲れると、この髯《ひげ》の長い翁《おきな》は、目を棚の上の盆栽に移して、私《ひそ》かに自ら娯《たのし》むのであった。
待合《まちあい》にしてある次の間には幾ら病人が溜《た》まっていても、翁は小さい煙管《きせる》で雲井を吹かしながら、ゆっくり盆栽を眺《なが》めていた。
午前に一度、午後に一度は、極まって三十分ばかり休む。その時は待合の病人の中を通り抜けて、北向きの小部屋に這入《はい》って、煎茶《せんちゃ》を飲む。中年の頃、石州流の茶をしていたのが、晩年に国を去って東京に出た頃から碾茶《ひきちゃ》を止《や》めて、煎茶を飲むことにした。盆栽と煎茶とが翁の道楽であった。
この北向きの室は、家じゅうで一番狭い間で、三畳敷である。何の手入もしないに、年々|宿根《しゅくこん》が残っていて、秋海棠《しゅうかいどう》が敷居と平らに育った。その直ぐ向うは木槿《もくげ》の生垣《いけがき》で、垣の内側には疎《まば》らに高い棕櫚《しゅろ》が立っていた。
花房が大学にいる頃も、官立病院に勤めるようになってからも、休日に帰って来ると、先《ま》ずこの三畳で煎茶を飲ませられる。当時八犬伝に読み耽《ふけ》っていた花房は、これをお父うさんの「三茶の礼」と名づけていた。
翁が特に愛していた、蝦蟇出《がまで》という朱泥《しゅでい》の急須《きゅうす》がある。径《わたり》二寸もあろうかと思われる、小さい急須の代赭色《たいしゃいろ》の膚《はだえ》に Pemphigus《ペンフィグス》 という水泡《すいほう》のような、大小種々の疣《いぼ》が出来ている。多分焼く時に出来損ねたのであろう。この蝦蟇出の急須に絹糸の切屑《きりくず》のように細かくよじれた、暗緑色の宇治茶を入れて、それに冷ました湯を注《つ》いで、暫《しばら》く待っていて、茶碗《ちゃわん》に滴《た》らす。茶碗の底には五立方サンチメエトル位の濃い帯緑黄色の汁が落ちている。花房はそれを舐《な》めさせられるのである。
甘みは微《かす》かで、苦みの勝ったこの茶をも、花房は翁の微笑と共に味わって、それを埋合せにしていた。
或日こう云う対坐の時、花房が云った。
「お父うさん。わたくしも大分理窟だけは覚えました。少しお手伝をしましょうか」
「そうじゃろう。理窟はわしよりはえらいに違いない。む
前へ
次へ
全11ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング