にて妻子もある者なるに、不都合と存じ候へども、ここに姓名を記す事丈は遠慮致す可く候。水曜日の晩は夏の末に有勝なる霧深き晩なりし由に候。斯様なる晩には小生も動物園にて出会ひしことありしが、芝生の上に灰色の靄立ち罩《こ》め、燈火《ともしび》の光之に映り居りしを見しこと有之候。思ふに妻が一人にて取残されしは斯かる夕なりしならむと存じ候。妻は斯かる夕彼の黒き髯|簇《むらが》り生ぜる、赤き眼の驚くべく輝ける大男共の群に取残されしものに候。妻はフリツチイの帰を待つこと二時間なりしに、遂に帰り来らずして、動物園の門を閉づべき時刻となり、已むを得ず帰り来りし由に候。此事実は小生が帰宅して直ちに妻の臥所の縁に腰を掛け居りし時、妻の物語りし所に候。其時妻は小生の頸に抱《いだ》き付き震ひ居り、両眼潤み居り候。其時は妻も今日の如き事あるべしとは夢にも知らず、小生も亦当時何事も知らざりしものにて候。若し小生が妻の妊娠し居ることを知り居たりしならば、仮令《たとへ》実父の許に帰り候とも、妻が霧深き夕妹を連れて動物園に行く如きことをば許さざりしならむと存じ候。何故と云ふに、妊娠中は些細なる事をも冒険と覚悟すべきことに候。又仮令動物園に行き候ともフリツチイが逃げ去ることなくば何事もなかりしなる可く、フリツチイが逃げ去り、妻が其身の上を心配せしは実に此不幸の原因に候。事実は斯の如くに候。斯く詳細に此事を書き遺し候は、只事実の真相を明かにせむとするに外ならず候。若し小生にして此手紙を認めずは、世の人は小生を誤解し、彼男は妻に欺かれて怒り、自殺せしなどと申さむも計り難く候。否々、世の人よ、小生の妻は貞操を守り居り、小生の子は飽迄も小生の子に相違なく候。而して此妻子をば小生最後の息を引取るまで愛し居候。只小生をして一命を捨てしむるに至りしは、世の人の愚にして、根性悪しきが為に候。小生の生存し居る限は、如何に学術的に此事実を証明せむとするも、世人は嘲罵の声を断たざる可く、仮令面前にては小生の言葉に首肯《しゆこう》すとも、背後に於いては矢張り嘲笑し、遂にはタアマイエル発狂せりとまで申すに至ることと存じ候。只今自殺する上は、世の人の斯の如き讒誣《ざんふ》は最早行れざる可く、妻の為にも十分名誉を恢復するに足るならむと存じ候。世の人も真逆に小生の一死に対して、此上妻を嘲笑する如き事は有之まじく、彼ハンベルヒ、ヘリオドオル、マルブランシユ、ヱルゼンブルヒ、プロイス、リムビヨツク諸家の報告の如き事実をも承認せざることを得ざる可く候。母も最早気の毒なる面持にて、小生に握手する如きこと有之まじく、必ずや妻に向ひて罪を謝するならむと存じ候。此手紙には此上書く可き事も無之候。掛時計は一時を報じ候。さらば、我家族よ、小生は今一度|傍《かたはら》なる室に行きて妻子に接吻し、さて此家を立ち出づ可く候。



底本:「鴎外選集 第十四巻」岩波書店
   1979(昭和54)年12月19日
初出:「明星 申歳一」
   1908(明治41)年1月1日
入力:tatsuki
校正:浅原庸子
2001年10月23日公開
2005年12月27日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング