りながら其子を捨つる時、此不思議なる出来事の原因を記したる帯を添へて捨てさせし由に候。帯に記したる所は、后が王の寵愛を受けし場所は王宮の花園にして、其処には希臘《グレシア》の男女《なんによ》の神体を彫《きざ》める美しき大理石の立像|数多《あまた》有りし由に候。后は王の寵愛を受くる時、常に其石像を見守《まも》りし由に候。今一つの事例は、千六百三十七年|仏国《ふつこく》にて証明せられし出来事にして、是等は此類の事件を信ずる者の必ずしも無教育者若しくは迷信家のみにあらざることを証するに余あるやう存ぜられ候。其事実は四年間|良人《をつと》に別れ居りし妻、一|男子《なんし》を生みしが、其女は始終良人と同衾する夢を見居りし由に候。当時の医師産婆等は皆|斯《か》かる事実の有り得べきことを表白し、ハアウルの裁判所にても、生れたる男子《だんし》に嫡出子のあらゆる権利を与へし由に候。ハンベルヒの著述『自然に於ける不思議なる事実』の七十四頁にも似寄の記事有之候。或婦人の生みし子、獅子の頭《かしら》を有し居りしが、其婦人は妊娠して七箇月目に母と良人とに伴はれて獅子使ひの見世物を見物せし由に候。又リムビヨツクの著述『母の物を見ることに依つて生れし子の母の見し物に似る現象に就いて』と云ふ書の十九頁にも、似寄の事件有之候。此書は千八百四十六年バアゼルの出版に候。或婦人の生みたる子の片頬《かたほ》に大いなる赤き痣ありしに、其母の物語る所によれば、其女の住みし家の向ひの家、産の二三週前に焼けし由に候。只今手紙を認め候時、小生はリムビヨツクの著書を目前に開き居り、筆を執る前にも種々読み試み候。此一書の中には尚|数多《あまた》の学術上に証明せられたる似寄の事件記載しあり候。是等を見る時は、小生の妻《さい》が貞操を守りし者なること十分に証明せらるるものと存ぜられ候。嗚呼我が愛する妻よ、御身は小生が先立ちて死することを許さる可く候。何故《なにゆゑ》と云ふに、小生の死するは世間の人の御身を嘲り笑ふを見るに忍びざるが為に候。小生の遺書一度世に公にせらるるに至らば、世の人の御身を笑ふことは止み申すべく候。此遺書を発見する人は、小生が之を認め候時、傍《かたはら》の室にて妻の安眠し居たりしことを承知せられ度候。良心に責めらるる如き人は斯《かく》の如く安眠することはあらじと存じ候。妻の生みし我子は、生れてより十四日目に
前へ 次へ
全7ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング