。
「そりゃあお情所《なさけどころ》から出たものじゃと思うて見ることもあるたい」
「あはははは。女なら話を極めるのに、手を握るのだが、少年はどうするのだい」
「やっぱり手じゃが、こぎゃんして」
と宮裏の手を掴《つか》まえて、手の平を指で押して、承諾するときはその指を握るので、嫌なときは握らないのだと説明する。
誰やら逸見に何か歌えと勧めた。逸見は歌い出した。
「雲のあわやから鬼が穴《けつ》う突《つ》ん出して縄で縛るよな屁《へ》をたれた」
甚句《じんく》を歌うものがある。詩を吟ずるものがある。覗機関《のぞきからくり》の口上を真似る。声色《こわいろ》を遣う。そのうちに、鍋も瓶も次第に虚《から》になりそうになった。軟派の一人が、何か近い処で好い物を発見したというような事を言う。そんなら今から往《い》こうというものがある。此間《こないだ》門限の五分前に出ようとして留められたが、まだ十五分あるから大丈夫出られる。出てさえしまえば、明日《あした》証人の証書を持って帰れば好い。証書は、印の押してある紙を貰って持っているから、出来るというような話になる。
盲汁仲間はがやがやわめきながら席を起《た》った。鰐口も一しょに出てしまった。
僕は最中にも食い厭《あ》きて、本を見ていると、梯子《はしご》を忍足《しのびあし》で上って来るものがある。猟銃の音を聞き慣れた鳥は、猟人《かりゅうど》を近くは寄せない。僕はランプを吹き消して、窓を明けて屋根の上に出て、窓をそっと締めた。露か霜か知らぬが、瓦は薄じめりにしめっている。戸袋の蔭にしゃがんで、懐にしている短刀の※[#「※」は「きへんに雨に革に月」、40−10]《つか》をしっかり握った。
寄宿舎の窓は皆雨戸が締まっていて、小使部屋だけ障子に明《あかり》がさしている。足音は僕の部屋に這入った。あちこち歩く様子である。
「今までランプが付いておったが、どこへ往ったきゃんの」
逸見の声である。僕は息を屏《つ》めていた。暫《しばら》くして足音は部屋を出て、梯子を降りて行った。
短刀は幸に用足たずに済んだ。
*
十四になった。
日課は相変らず苦にもならない。暇さえあれば貸本を読む。次第に早く読めるようになるので、馬琴や京伝のものは殆ど読み尽した。それからよみ本というものの中で、外の作者のものを読んで見たが、どうも面白くない。人の借りている人情本を読む。何だか、男と女との関係が、美しい夢のように、心に浮ぶ。そして余り深い印象をも与えないで過ぎ去ってしまう。しかしその印象を受ける度毎に、その美しい夢のようなものは、容貌の立派な男女の享《う》ける福で、自分なぞには企て及ばないというような気がする。それが僕には苦痛であった。
埴生とはやはり一しょに遊ぶ。暮春の頃であった。月曜日の午後埴生と散歩に出ると、埴生が好い処へ連れて行って遣ろうと云う。何処だと聞けば、近処の小料理屋なのである。僕はそれまで蕎麦《そば》屋や牛肉屋には行ったことがあるが、お父様に連れられて、飯を食いに王子の扇屋に這入った外、御料理という看板の掛かっている家へ這入ったことがないのだから、非道《ひど》く驚いた。
「そんな処へ君はひとりで行けるか」
「ひとりじゃあない。君と行こうというのだ」
「そりゃあ分かっている。僕がひとりというのは、大きい人に連れられずに行けるかというのだ。一体君はもう行ったことがあるのか」
「うむ。ある。此間《こないだ》行って見たのだ」
埴生は頗《すこぶ》る得意である。二人は暖簾《のれん》を潜《くぐ》った。「いらっしゃい」と一人の女中が云って、僕等を見て、今一人の女中と目引き袖引き笑っている。僕は間《ま》が悪くて引き返したくなったが、埴生がずんずん這入るので、しかたなしに附いて這入った。
埴生は料理を誂《あつら》える。酒を誂える。君は酒が飲めるかというと、飲まなくても誂えるものだという。女中は物を運んで来る度に、暫く笑いながら立って見ている。僕は堅くなって、口取か何かを食っていると、埴生がこんな話をし出した。
「昨日は実に愉快だったよ」
「何だ」
「おじの年賀に呼ばれて行ったのだ。そうすると、芸者やお酌が大勢来ていて、まだ外のお客が集まらないので、遊んでいた。そのうちのお酌が一人、僕に一しょに行って庭を見せてくれろと云うだろう。僕はそいつを連れて庭へ行った。池の縁《ふち》を廻って築山《つきやま》の処へ行くと、黙って僕の手を握るのだ。それから手を引いて歩いた。愉快だったよ」
「そうか」
僕は一語を讃することを得ない。そして僕の頭には例の夢のような美しい想像が浮んだ。なる程埴生なら、綺麗なお酌と手を引いて歩いても、好く似合うだろうと思った。埴生は美少年であるばかりではない。着物なぞも相応にさっぱりしたものを着ているのであった。
こう思うと共に、僕はその事が、いかにも自分には縁遠いように感じた。そして不思議にも、人情本なんぞを読んで空想に耽《ふけ》ったときのように、それが苦痛を感じさせなかった。僕はこの事実に出くわして、却《かえ》ってそれを当然の事のように思った。
埴生は間もなく勘定をして料理屋を出た。察するに、埴生は女の手を握った為めに祝宴を設けて、僕に馳走をしたのであったろう。
僕はその頃の事を思って見ると不思議だ。何故かというに、人情本を見た時や、埴生がお酌と手を引いて歩いた話をした時浮んだ美しい想像は、無論恋愛の萌芽《ほうが》であろうと思うのだが、それがどうも性欲その物と密接に関聯《かんれん》していなかったのだ。性欲と云っては、この場合には適切でないかも知れない。この恋愛の萌芽と Copulationstrieb とは、どうも別々になっていたようなのである。
人情本を見れば、接吻が、西洋のなんぞとまるで違った性質の接吻が叙してある。僕だって、恋愛と性欲とが関係していることを、悟性の上から解せないことはない。しかし恋愛が懐かしく思われる割合には、性欲の方面は発動しなかったのである。
或る記憶に残っている事柄が、直接にそれを証明するように思う。僕はこの頃悪い事を覚えた。これは甚だ書きにくい事だが、これを書かないようでは、こんな物を書く甲斐がないから書く。西洋の寄宿舎には、青年の生徒にこれをさせない用心に、両手を被布団《きぶとん》の上に出して寝ろという規則があって、舎監が夜見廻るとき、その手に気を附けることになっている。どうしてそんな事を覚えたということは、はっきりとは分からない。あらゆる穢いことを好んで口にする鰐口が、いつもその話をしていたのは事実である。その外、少年の顔を見る度に、それをするかと云い、小娘の顔を見る度に、或る体の部分に毛が生えたかと云うことを決して忘れない人は沢山ある。それが教育というものを受けた事のない卑賤な男なら是非が無い。紳士らしい顔をしている男にそういう男が沢山ある。寄宿舎にいる年長者にもそういう男が多かった。それが僕のような少年を揶揄《からか》う常套語《じょうとうご》であったのだ。僕はそれを試みた。しかし人に聞いたように愉快でない。そして跡で非道く頭痛がする。強《し》いてかの可笑しな画なんぞを想像して、反復して見た。今度は頭痛ばかりではなくて、動悸《どうき》がする。僕はそれからはめったにそんな事をしたことはない。つまり僕は内から促されてしたのでなくて、入智慧でしたので、附焼刃《つけやきば》でしたのだから、だめであったと見える。
或る日曜日に僕は向島の内へ帰った。帰って見ると、お父様がいつもと違って烟《けむ》たい顔をして黙っておられる。お母様も心配らしい様子で、僕に優しい詞を掛けたいのを控えてお出《いで》なさるようだ。元気好く帰って行った僕は拍子抜がして、暫く二親の顔を見競べていた。
お父様が、烟草《たばこ》を呑んでいた烟管《きせる》で、常よりひどく灰吹をはたいて、口を切られた。お父様は巻烟草は上《あが》らない。いつも雲井という烟草を上るに極まっていたのである。さてお話を聞いて見ると、僕の罪悪とも思わなかった罪悪が、お父様の耳に入ったのである。それはかの手に関係する事ではない。埴生との交際の事である。
同じ学校の上の級に沼波《ぬなみ》というのがあった。僕は顔も知らないが、先方では僕と埴生との狗児《ちんころ》のように遊んでいるのを可笑《おかし》がって見ていたものと見える。この沼波の保証人が向島にいて、お父様の碁の友達であった。そこでお父様はこういう事を聞かれたのである。
金井は寄宿舎じゅうで一番小さい。それに学課は好く出来るそうだ。その友達に埴生というのがいる。これも相応に出来る。しかし二人の性質はまるで違う。金井は落着いた少年で、これからぐんぐん伸びる人だと思うが、埴生は早熟した才子で、鋭敏過ぎていて、前途が覚束《おぼつか》ない。二人はひどく仲を好くして、一しょに遊んでいるようだが、それは外に相手がないから、小さい同志で遊ぶのであろう。ところがこの頃になって、金井の為めには、埴生との交際が頗《すこぶ》る危険になったようである。埴生は金井より二つ位年上であろう。それが江戸の町に育ったものだから、都会の悪影響を受けている。近頃ひとりで料理屋に行って、女中共におだてられるのを面白がっているのを見たものがある。酒も呑み始めたらしい。尤《もっと》も甚しいのは、或る楊弓店の女に帯を買って遣ったということである。あれは堕落してしまうかも知れない。どうぞ金井が一しょに堕落しないように、引き分けて遣りたいものだということを、沼波が保証人に話したのである。
お父様はこの話をして、何か埴生と一しょに悪い事をしはしないか。したなら、それを打明けて言うが好い。打明けて言って、これから先しなければ、それで好い。とにかく埴生と交際することは、これからは止《や》めねば行かぬと仰《おっし》ゃるのである。お母様が側から沼波さんもお前が悪い事をしたと云ったのではないそうだ、お前は何もしたのではあるまい、これからその埴生という子と遊ばないようにすれば好いのだと仰ゃる。
僕は恐れ入った。そして正直に埴生に、料理屋へ連れて行かれた事を話した。しかしそれが埴生の祝宴であったということだけは、言いにくいので言わなかった。
埴生と絶交するのは、余程むつかしかろうと思ったが、実際殆ど自然に事が運んだ。埴生は間も無く落第する。退学する。僕はその形迹《けいせき》を失ってしまった。
僕が洋行して帰って妻《さい》を貰ってからであった。或日の留守に、埴生庄之助という名刺を置いて行った人があった。株式の売買をしているものだと言い置いて帰ったそうだ。
*
同じ歳の夏休に向島に帰っていた。
その頃好い友達が出来た。それは和泉《いずみ》橋の東京医学校の預科に這入っている尾藤裔一《びとうえいいち》という同年位の少年であった。裔一のお父様はお邸の会計で、文案を受け持っている榛野《はんの》なんぞと同じ待遇を受けている。家もお長屋の隣同志である。
僕のお父様はお邸に近い処に、小さい地面附の家を買って、少しばかりの畠にいろいろな物を作って楽んでおられる。田圃《たんぼ》を隔てて引舟の通が見える。裔一がそこへ遊びに来るか、僕がお長屋へ往くか、大抵離れることはない。
裔一は平べったい顔の黄いろ味を帯びた、しんねりむっつりした少年で、漢学が好く出来る。菊池三渓を贔負《ひいき》にしている。僕は裔一に借りて、晴雪楼|詩鈔《ししょう》を読む。本朝虞初新誌《ほんちょうぐしょしんし》を読む。それから三渓のものが出るからというので、僕も浅草へ行って、花月新誌を買って来て読む。二人で詩を作って見る。漢文の小品を書いて見る。先ずそんな事をして遊ぶのである。
裔一は小さい道徳家である。埴生と話をするには、僕は遣り放しで、少しも自分を拘束するようなことは無かったのだが、裔一と何か話していて、少しでも野卑な詞、猥褻《わいせつ》な詞などが出ようものなら、彼はむきになって怒るのである。彼の想像では、人は進士及第をし
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