なり。旅店の背《うしろ》なる山に登りて見るに、処々に清泉あり、水|清冽《せいれつ》なり。半腹に鳳山亭と※[#「匸<扁」、第4水準2−3−48]したる四阿屋《あずまや》の簷《のき》傾きたるあり、長野辺まで望見るべし。遠山の頂には雪を戴《いただ》きたるもあり。このめぐりの野は年毎に一たび焚《や》きて、木の繁《しげ》るを防ぎ、家畜飼う料に草を作る処なれば、女郎花《おみなえし》、桔梗《ききょう》、石竹《せきちく》などさき乱れたり。折りてかえりて筒《つつ》にさしぬ。午後泉に入りて蟹《かに》など捕えて遊ぶ。崖《がけ》を下りて渓川の流に近づかんとしたれど、路あまりに嶮《けわ》しければ止みぬ。渓川の向いは炭《すみ》焼《や》く人の往来する山なりという。いま流を渡りて来たる人に問うに、水浅しといえり。この日野山ゆくおりに被《かぶ》らばやとおもいて菅笠《すげがさ》買いぬ。都にてのように名の立たん憂はあらじ。
 二十日になりぬ。ここに足を駐《とど》めんときょうおもい定《さだ》めつ、爽旦《あさまだき》かねてききしいわなという魚《さかな》売《うり》に来たるを買《か》う、五尾十五銭。鯉も麓《ふもと》なる里より持《も》てきぬというを、一尾買いてゆうげの時まで活《いか》しおきぬ。流石《さすが》に信濃の国なれば、鮒をかしらにはあらざりけり、屋背《うしろ》の渓川は魚|栖《す》まず、ところのものは明礬《めんばん》多ければなりという。いわなの居る河は鳳山亭より左に下りたる処なり。そこへ往《ゆ》かんとて菅笠《すげがさ》いただき草鞋《わらじ》はきて出でたつ。車前草おい重りたる細径《こみち》を下りゆきて、土橋《どばし》ある処に至る。これ魚栖めりという流なり。苔《こけ》を被ぶりたる大石|乱立《らんりつ》したる間を、水は潜りぬけて流れおつ。足いと長き蜘蛛《くも》、ぬれたる巌《いわお》の間をわたれり、日暮るる頃まで岩に腰《こし》かけて休《やすら》い、携えたりし文など読む。夕餉《ゆうげ》の時老女あり菊の葉、茄子など油にてあげたるをもてきぬ。鯉、いわなと共にそえものとす。いわなは香味《こうみ》鮎《あゆ》に似たり。
 二十一日、あるじ来て物語《ものがたり》す。父《ちち》は東京にいでしことあれど、おのれは高田より北、吹上より南を知《し》らずという。東京の客《かく》のここへ来ることは、年《とし》に一たびあらんなどいえど、それも山
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