ず》れおちて全く軌道を埋《うず》めたるあり、橋のおちたるありて、車かよわずといえば、鞋《わらじ》はきていず。軌道より左に折れてもとの街道をゆくに、これも断《た》えたる処あれば、山を踰《こ》え渓《たに》を渡りなどす。松井田より汽車に乗りて高崎に抵《いた》り、ここにて乗《の》りかえて新町につき、人力車を雇《やと》いて本庄にゆけば、上野までの汽車みち、阻礙なしといえり。汽車は日に晒《さら》したるに人を載することありて、そのおりの暑《あつ》さ堪えがたし、西国にてはさぞ甚しからん。このたびの如き変ある日には是非《ぜひ》なけれど、客をあまりに多く容《い》るるは、よからぬことなり。また車丁等には、上、中、下等の客というこころなくして、彼は洋服《ようふく》きたれば、定めてありがたき官員ならん、此は草鞋《わらじ》はきたれば、定めていやしき農夫ならんという想像《そうぞう》のみあるように見うけたり。上等、中等の室に入りて、切符《きっぷ》しらぶるにも、洋服きたる人とその同行者とは問《と》わずして、日本服のものはもらすことなかりき。また豊野の停車場にては、小荷物|預《あず》けんといいしに、聞届《ききとど》けがたしと、官員がほしていいしを、痛《いた》く責《せ》めしに、後には何事をいいても、いらえせずなりぬ。これとはうらうえなるは、松井田にて西洋人の乗《の》りしとき、車丁の荷物《にもつ》を持ちはこびたると、松井田より本庄まで汽車《きしゃ》のかよわぬ軌道を、洋服きたる人の妻子婢妾にとおらせ、猶|飽《あ》きたらでか、これを空《あ》きたる荷積汽車にのせて人に推《お》させたるなどなりき。渾《すべ》てこの旅の間に、洋服の勢力《せいりょく》あるを見しこと、幾度か知られず。茶店、旅宿などにても、極上等の座敷《ざしき》のたたみは洋服ならでは踏《ふ》みがたく、洋服着たる人は、後に来りて先ず飲食《いんしょく》することをも得つべし。茶代《ちゃだい》の多少などは第二段の論にて、最大大切なるは、服の和洋なり。旅《たび》せんものは心得置くべきことなり。されど奢《おご》るは益なし、洋服にてだにあらば、帆木綿《ほもめん》にてもよからん。白き上衣の、腋《わき》の下早や黄ばみたるを着たる人も、新しき浴衣《ゆかた》着たる人よりは崇《たっと》ばるるを見ぬ。



底本:「日本の名随筆15 旅」作品社
   1983(昭和58)年9月2
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