り。引放《ひきはな》たんとするに、母|劇《はげ》しくすまいて、屈する気色《けしき》なければ、止むを得ずして殺しぬ。六郎が祖父は隠居所《いんきょじょ》にありしが、馳出《はせい》でて門のあきたるを見て、外なる狼藉者《ろうぜきもの》を入れじと、門を鎖《とざ》さんとせしが、白刃振りて迫《せま》られ、勢《いきおい》敵《てき》しがたしとやおもいけん、また隠居所に入りぬ。六郎が母を殺しし人は、今もながらえたり。六郎が父殺しし人の、一瀬なりしことは、初知るものなかりしが、故《ことさ》らに迹《あと》を滅《け》さんと、きりこみし人々、皆其刀を礪《と》がせし中に、一瀬が刀の刃《は》二個処いちじるしくこぼれたるが、臼井が短刀のはのこぼれに吻合《ふんごう》したるより露《あら》われにき。六郎が父の首《くび》は人々持ちかえりしが、彼素肌にてつき殺されし人は、ずだずだに切《き》られて、頭さえ砕《くだ》けたりき。木村氏はそのおり臼井の邸に向いし一人なりしが、刃にちぬるに至らず、六郎が東京に出でて勤学《きんがく》せんといいしときも、親類《しんるい》のちなみありとて、共に旅立《たびだ》つこととなりぬ。六郎は東京にて山岡鉄舟の塾《じゅく》に入りて、撃剣《げきけん》を学び、木村氏は熊谷の裁判所に出勤《しゅっきん》したりしに、或る日六郎|尋《たづ》ねきて、撃剣の時|誤《あやま》りて肋骨《あばらぼね》一本折りたれば、しばしおん身が許《もと》にて保養《ほよう》したしという。さて持《も》てきし薬《くすり》など服《ふく》して、木村氏のもとにありしが、いつまでも手を空《むなし》くしてあるべきにあらねば、月給八円の雇吏《やとい》としぬ。その頃より六郎|酒色《しゅしょく》に酖《ふけ》りて、木村氏に借銭《しゃくせん》払わすること屡々《しばしば》なり。ややありて旅費《りょひ》を求《もと》めてここを去りぬ。後に聞けば六郎が熊谷に来しは、任所《にんしょ》へゆきし一瀬が跡《あと》追《お》いてゆかんに、旅費なければこれを獲《え》ぬとてなりけり。酒色に酖ると見えしも、木村氏の前をかく繕《つく》いしのみにて、夜な夜な撃剣のわざを鍛《きた》いぬ。任所にては一瀬を打つべき隙《ひま》なかりしかば、随《したが》いて東京に出で、さて望を遂《と》げぬ。その折の事は世のよく知る所なれば、ここにはいわず。臼井六郎も今は獄《ごく》を出でたり。獄中にて西教に
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