可哀さうに私だつてまだ気が狂ふには間があります、なにね清さん詰まらない事なのよ、そりやあさうと清さん今夜は別に用がないなら緩《ゆっく》り遊んでお出《いで》なさいなと、さすがに極《きま》り悪《わ》るげな処へ、兼ての手筈《てはず》に女の来てちよつとこちらへと案内するは、同じ二階の四畳半に網行燈《あみあんどう》微暗《ほのくら》く、蚊《か》の少き土地とて蚊※[#「巾+廚」、第4水準2−12−1]《かや》は弔《つ》らねど、布団《ふとん》一つに枕二つ、こりや場所が違ひませうと、清二郎の出ようとするを留《とど》めるは兼吉、胸のみ頻《しき》りに騒がれて、昨夕《ゆうべ》から喫《の》んだ酒の俄《にわか》に頭に上《のぼ》る心地、切角《せっかく》これまで縒《よ》り掛けながら、日頃の願の縁の糸が結ばれようか切れようか、死ぬるか生きるか、極《き》まるは今の束《つか》の間《ま》と思案するもまた束の間、心は※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《ほのお》語《ことば》は冰《こおり》、ほほほほほ出抜《だしぬけ》だから胆《きも》をお潰《つぶ》しだらうね、話せば直《じき》に分る事ゆゑ、まあちよつと下にゐて下されと
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