て奉公していて、とうとう明和三年まで十四年間勤めた。その留守に妹は戸田の家来有竹の息子の妻になって、外桜田の邸へ来たのである。
尾州家から下がったるんは二十九歳で、二十四歳になる妹の所へ手助《てだすけ》に入り込んで、なるべくお旗本の中《うち》で相応な家へよめに往きたいと云っていた。それを山中が聞いて、伊織に世話をしようと云うと、有竹では喜んで親元になって嫁入をさせることにした。そこで房州《ぼうしゅう》うまれの内木|氏《うじ》のるんは有竹氏を冒《おか》して、外桜田の戸田邸から番町の美濃部方へよめに来たのである。
るんは美人と云う性《たち》の女ではない。若《も》し床の間の置物のような物を美人としたら、るんは調法に出来た器具のような物であろう。体格が好く、押出しが立派で、それで目から鼻へ抜けるように賢く、いつでもぼんやりして手を明けていると云うことがない。顔も觀骨《かんこつ》が稍《やや》出張っているのが疵《きず》であるが、眉《まゆ》や目の間に才気が溢《あふ》れて見える。伊織は武芸が出来、学問の嗜もあって、色の白い美男である。只この人には肝癪持《かんしゃくもち》と云う病があるだけである。さて二人が夫婦になったところが、るんはひどく夫を好いて、手に据えるように大切にし、七十八歳になる夫の祖母にも、血を分けたものも及ばぬ程やさしくするので、伊織は好い女房を持ったと思って満足した。それで不断の肝癪は全く迹《あと》を斂《おさ》めて、何事をも勘弁するようになっていた。
翌年は明和五年で伊織の弟宮重はまだ七五郎と云っていたが、主家《しゅうけ》のその時の当主松平|石見守乗穏《いわみのかみのりやす》が大番頭になったので、自分も同時に大番組に入《い》った。これで伊織、七五郎の兄弟は同じ勤をすることになったのである。
この大番と云う役には、京都二条の城と大坂の城とに交代して詰めることがある。伊織が妻を娶《めと》ってから四年立って、明和八年に松平石見守が二条在番の事になった。そこで宮重七五郎が上京しなくてはならぬのに病気であった。当時は代人差立《だいにんさしたて》と云うことが出来たので、伊織が七五郎の代人として石見守に附いて上京することになった。伊織は、丁度|妊娠《にんしん》して臨月になっているるんを江戸に残して、明和八年四月に京都へ立った。
伊織は京都でその年の夏を無事に勤めたが、秋
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