隔てのない中《うち》に礼儀があって、夫婦にしては、少し遠慮をし過ぎているようだと云うのであった。
二人は富裕とは見えない。しかし不自由はせぬらしく、又久右衛門に累を及ぼすような事もないらしい。殊《こと》に婆あさんの方は、跡から大分《だいぶ》荷物が来て、衣類なんぞは立派な物を持っているようである。荷物が来てから間もなく、誰が言い出したか、あの婆あさんは御殿女中をしたものだと云う噂《うわさ》が、近所に広まった。
二人の生活はいかにも隠居らしい、気楽な生活である。爺いさんは眼鏡を掛けて本を読む。細字で日記を附ける。毎日同じ時刻に刀剣に打粉《うちこ》を打って拭《ふ》く。体《たい》を極《き》めて木刀を揮《ふ》る。婆あさんは例のまま事の真似をして、その隙《すき》には爺いさんの傍《そば》に来て団扇《うちわ》であおぐ。もう時候がそろそろ暑くなる頃だからである。婆あさんが暫《しばら》くあおぐうちに、爺いさんは読みさした本を置いて話をし出す。二人はさも楽しそうに話すのである。
どうかすると二人で朝早くから出掛けることがある。最初に出て行った跡で、久右衛門の女房が近所のものに話したと云う詞《ことば》が偶然伝えられた。「あれは菩提所《ぼだいしょ》の松泉寺《しょうせんじ》へ往きなすったのでございます。息子さんが生きていなさると、今年三十九になりなさるのだから、立派な男盛と云うものでございますのに」と云ったと云うのである。松泉寺と云うのは、今の青山御所《あおやまごしょ》の向裏《むこううら》に当る、赤坂|黒鍬谷《くろくわだに》の寺である。これを聞いて近所のものは、二人が出歩くのは、最初のその日に限らず、過ぎ去った昔の夢の迹《あと》を辿《たど》るのであろうと察した。
とかくするうちに夏が過ぎ秋が過ぎた。もう物珍らしげに爺いさん婆あさんの噂をするものもなくなった。所が、もう年が押し詰まって十二月二十八日となって、きのうの大雪の跡の道を、江戸城へ往反《おうへん》する、歳暮拝賀の大小名諸役人織るが如き最中に、宮重の隠居所にいる婆あさんが、今お城から下がったばかりの、邸の主人松平左七郎に広間へ呼び出されて、将軍徳川|家斉《いえなり》の命を伝えられた。「永年|遠国《えんごく》に罷在候夫《まかりありそろおっと》の為《ため》、貞節を尽候趣聞召《つくしそろおもむききこしめ》され、厚き思召《おぼしめし》を以
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