ァたない。精神学の方面はどうだ。自由だの、霊魂不滅だの、義務だのは存在しない。その無いものを有るかのように考えなくては、倫理は成り立たない。理想と云っているものはそれだ。法律の自由意志と云うものの存在しないのも、疾《と》っくに分かっている。しかし自由意志があるかのように考えなくては、刑法が全部無意味になる。どんな哲学者も、近世になっては大低世界を相待《そうたい》に見て、絶待《ぜったい》の存在しないことを認めてはいるが、それでも絶待があるかのように考えている。宗教でも、もうだいぶ古くシュライエルマッヘルが神を父であるかのように考えると云っている。孔子《こうし》もずっと古く祭るに在《いま》すが如くすと云っている。先祖の霊があるかのように祭るのだ。そうして見ると、人間の智識、学問はさて置き、宗教でもなんでも、その根本を調べて見ると、事実として証拠立てられない或る物を建立《こんりゅう》している。即ちかのようにが土台に横《よこた》わっているのだね。」
「まあ一寸待ってくれ給え。君は僕の事を饒舌《しゃべ》る饒舌ると云うが、君が饒舌り出して来ると、駆足になるから、附いて行かれない。その、かのようにと
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