、ち》には、邸まで附いて来たのもあって、五条家ではそう云う人達に、一寸《ちょっと》した肴《さかな》で酒を出した。それが済んだ跡で、子爵と秀麿との間に、こんな対話があった。
 子爵は袴《はかま》を着けて据わって、刻煙草《きざみたばこ》を煙管《きせる》で飲んでいたが、痩《や》せた顔の目の縁に、皺《しわ》を沢山寄せて、嬉しげに息子をじっと見て、只一言「どうだ」と云った。
「はい」と父の顔を見返しながら秀麿は云ったが、傍《そば》で見ている奥さんには、その立派な洋服姿が、どうも先《さ》っき客の前で勤めていた時と変らないように、少しも寛《くつろ》いだ様子がないように思われて、それが気に掛かった。
 子爵は息子がまだ何か云うだろうと思って、暫《しばら》く黙っていたが、それきりなんとも云わないので、詞《ことば》を続《つ》いだ。「書物を沢山持って帰ったそうだね。」
「こっちで為事《しごと》をするのに差支えないようにと思って、中には読んで見る方の本でない、物を捜し出す方の本も買って帰ったものですから、嵩《かさ》が大きくなりました。」
「ふん。早く為事に掛かりたかろうなあ。」
 秀麿は少し返事に躊躇《ちゅう
前へ 次へ
全51ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング