世にありしきとき、伴はれてゆきし嬉しさ、なほ忘れざりしかば、しぶしぶ諾《うべな》ひつるを、「かくてこそ善《よ》き子なれ」とみな誉《ほ》めつ。連れなる男は、途《みち》にてやさしくのみ扱ひて、かしこにては『バワリア』といふ座敷船《ザロンダムフェル》に乗り、食堂にゆきて物食はせつ。酒もすすめぬれど、そは慣れぬものなれば、辞《いな》みて飲まざりき。ゼエスハウプトに船はてしとき、その人はまた小舟を借り、これに乗りて遊ばむといふ。暮れゆくそらに心細くなりしわれは、はやかへらむといへど、聴かずして漕出《こぎい》で、岸辺に添ひてゆくほどに、人げ遠き葦間《あしま》に来《きた》りしが、男は舟をそこに停《と》めつ。わが年はまだ十三にて、初《はじめ》は何事ともわきまへざりしが、後《のち》には男の顔色もかはりておそろしく、われにでもあらで、水に躍入《おどりい》りぬ。暫しありて我にかへりしときは、湖水の畔《ほとり》なる漁師《りょうし》の家にて、貧しげなる夫婦のものに、介抱せられてゐたりき。帰るべき家なしと言張りて、一日《ひとひ》二日《ふたひ》と過《すぐ》す中《うち》に、漁師夫婦の質朴なるに馴染《なじ》みて、不幸なる我身の上を打明けしに、あはれがりて娘として養ひぬ。ハンスルといふは、この漁師の名なり。」
「かくて漁師の娘とはなりぬれど、弱き身には舟の櫂《かじ》取ることもかなはず、レオニのあたりに、富める英吉利人《イギリスびと》の住めるに雇《やと》はれて、小間使《こまづかい》になりぬ。加特力教《カトリックきょう》信ずる養父母は、英吉利人に使はるるを嫌ひぬれど、わが物読むことなど覚えしは、彼《かの》家なりし雇女教師[#「雇女教師」の右に《やといじょきょうし》、左に《グェルナント》とルビ、55−10]の恵《めぐみ》なり。女教師は四十余の処女《しょじょ》なりしが、家の娘のたかぶりたるよりは、我を愛すること深く、三年《みとせ》がほどに多くもあらぬ教師の蔵書、悉《ことごと》く読みき。ひがよみはさこそ多かりけめ。またふみの種類もまちまちなりき。クニッゲが交際法あれば、フムボルトが長生術あり。ギョオテ、シルレルの詩抄半ばじゆしてキョオニヒが通俗の文学史を繙《ひもと》き、あるはルウヴル、ドレスデンの画堂の写真絵、繰りひろげて、テエヌが美術論の訳書をあさりぬ。」
「去年《こぞ》英吉利人一族を率ゐて国に帰りし後は
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