らなくなっていた。
「その、その……か。うむ。うむ……」と村長は大きく笑った。それから席につき、言葉を改めて、「他の諸君はどうだね。何か異議があるかね。」
 誰も何ともいうのはない。
「なければ裁決したらどうだ」と長老議員が口を挟んだ。
「裁決――異議なし。」
「異議なし」とみんなが言った。
 打ちのめされた田辺村議は、しばし顔を上げず、蒼白な薄ぺらい唇をわなわなと震わせていた。

 それから一週間ばかりたったある日のこと、田辺は作業服を着て古い帽子をかぶり、下男といっしょに家の裏手の野茶畑で春蒔野菜の種子や隠元豆、ふだん草、山芋などを蒔きつけ、さらに、トマトや南瓜の苗を仕立てるための苗代ごしらえをしていた。おいおい彼自身も村夫子にかえって野菜作りから麦小麦、やがて田起しまでやる覚悟だったのだ。
 そこへ産業組合の事務をやっている石村藤作がひょっこりやって来た。この五十男は何の能もないが、別に暮しに困らない身分で「遊びかたがた」組合へ出ていると公言している至極暢気に出来上った人物である。
「やア、これはしたり、百姓のまね[#「まね」に傍点]なんど止した方がよかっぺで」と彼はいきなり近くの木株へ腰を下ろして、煙管を出し、「いや、こないだは痛けえ[#「痛けえ」に傍点]だったっちう話だっけな。どうしてどうして、田辺君のような若い勇士でなけりゃ出来ねえこった。」
「な、なんだい。……何を言ってるんだい。」
 田辺はうすうす分ったが、わざとそんな風に笑って、種子を蒔きつづける。
「何を……って君、瘤の野郎をぐう[#「ぐう」に傍点]の音も出させまいと凹ませたっち話よ。――いや、どうして、この村広しといえども、あの男の前へ出ては口ひとつきけるものいねえんだから、情けねえありさまよ。そこを君が、堂々と正眼に構えて太刀を合せたんだから……」
「つまらねえこというな。」
「つまらねえこと……馬鹿な、何がつまらねえことだ。俺ら聞いて、すうっ[#「すうっ」に傍点]と胸が風通しよくなったようだっけ、本当によ。――あんな君、瘤のような人間、駄目だよ。これからは、はア、時代おくれだよ。若い連中で村政改革やっちまわなくちゃア……」
 田辺定雄は種子まきを止めず、相変らずにやにややっているよりほかなかった。いったい、この男、なんでやって来て、なんのためにそんなことごでって[#「ごでって」に傍点]やが
前へ 次へ
全22ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
犬田 卯 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング