女のこれまでの経験からすると、四五日などといったって、それは半月であるか一ヵ月であるか分らなかった。
「ほんとに何ちう組合だっペ。」そのとば尻を、おせきは何時ものように浩平に持って行かなくてはいられなかった。
「お父ら、暢気もんだから……米の調べあるっちのに、どうするつもりなんだ。」
「どうするっちたって、どうもこうもあるもんか。――無《ね》えものは無え、有るものは有る、横からでも縦からでも調べた方がいいやな。こちとらのような足りねえ者には、政府の方で心配して、何俵でも廻してよこすんだっペからよ。」
「そんな無責任な親父だ。そんで、どうしてこの一家、立派に、ひとから嗤われねえように張って行けるんだ。あすこの家にはたった一俵しかなかったとよ、なんて世間に言われるの、黙って聞いていられんのか、この間抜け親父奴。」
おせきは近所に聞えるのを恐れてそれ以上言わなかったが……
そうしているうちに、とうとう調査の日がやって来てしまった。が、彼女はその前日から覚悟をきめたようだった。土間の隅に積んであるいろいろながらくた[#「がらくた」に傍点]や、古俵、叺……そんなものをきちんと整理して、それから軒下の方までおさよと勝に掃除をさせ、浩平が野良へ出てしまったあと、自分で、調査員のやって来るのを待っていた。
昼近い頃、村長と巡査、農会の書記、それからこの部落の区長とが、ぞろぞろと門口を入って来た。
土間から軒下へ出て一行を迎えたおせきは、丁寧に被っていた手拭をとって、
「これはまア、本日はご苦労さんでございます」と改まった東京風の言葉で挨拶した。
「いい日だなア。」
区長が半白の頭を見せてそれに答え、それから一行のものは、あるいは軒下に立ち、あるいは土間へ入って来て、じろじろとあたりを見廻した。おせきは少々上り気味で、誰と誰がどこに突っ立っていて、誰が米俵の方を注視していたか、そのときは識別しなかったが、あとで考えると、「米は何俵あったかね」と訊ねて、俵の方へ近づいたのは農会の書記――見知らぬ若者だったと思った。
そう訊ねられて、彼女は胸を落ちつけ、そしてはっきりと答えたつもりだった。
「はい、あの、六俵半……不合格も合せれば、ざっと七俵はございます。」
「え、四俵――」
「七俵って言ったんだど」と、それまできょとんとして眺めていた勝が訂正した。
「どれとどれだね。」
「これと、これと、これ……これ……」
俵へ触れる彼女の手先はぶるぶると震えていた。
「ああ、七俵か……そうすると、こちらは家族八人……少し余る勘定だな……一俵だけそれでは供出して貰うことになる訳だな。」
書記は紙片へ書き込んで、それからおせきに捺印させた。やがて調査の一行はどやどやと門口を出て行ったが、おせきは失神したように、軒下に突っ立っていた。
「おっ母さん、いまのあれ[#「あれ」に傍点]違っていべえな。」
勝は相変らずきょとんとした顔付で、眼ばかり輝かせていたが、こんどは、違っていても差支えないのかというように母に迫った。
「馬鹿、汝《いし》ら黙っていろ。よけいな口きくとぶんなぐるぞ」とおせきはやっと我にかえって勝をたしなめた。
底本:「犬田卯短編集 一」筑波書林
1982(昭和57)年2月15日第1刷発行
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2007年12月8日作成
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