*    *    *
もうじっとしているわけにはいかなかった。私は原稿書きを放っておいて、廃屋のあとを開墾するばかりに片づけたり、花をつくろうと思う空地を掘りかえしたり、果樹類を植えようとする藪を伐りはらったりしはじめた。同時に浩さんの姿を見るたびに、それとなく促すのであったが、浩さんはいっこうやって来てくれる様子はないのであった。「嫁にやった」妹が都合で戻ってくるし、嫁の里に病人が出来るし、親父の方の用事がどうで……と、そして反対に一円だ、二円だである。この頃ではもう水も汲んでくれないので、それらは一ヵ年分の約束のうちに加える条件にするより他はないのであるが、しかしどうせやらなければならぬものであるからと考えて、私たちは出してやったのであった。
 浩さんの姿は見えたり見えなかったりした。ある日、近所の人が通りかかって、「浩さんがいねえちけね……」というのであった。
「まさか。」
「なんでも妹と二人で関西の方へ行っちまったとか……」
 私たちは「開いた口が塞がらぬ」という状態に遭遇したのだった。実際、はた[#「はた」に傍点]から見たらぽかんとしていたかも知れなかったのである。
「家財道具みんな売り払ったばかりでなく、畑作まで処分して出かけたッち話だね。」
「でも、嫁さんは……昨日もいたようだが……」
「なんでも留守させて、その間に、二人でみんな運び出したって話だね。夜中に、この坂の下へトラック来たの見た人があるちけから……」
 浩さんの前半生が分った。どこへ約束しても彼は金をつかんでしまうと仕事に行かず、ちびりちびり飲んでしまうので、もはやそれを知るところでは雇い手がなかったのであった。幼い時から村を出て樺太から九州の端までほっつき歩いた「風来坊」――村人の表現――で彼はあったのだ。
「知らない土地へ行ったらあれでも夫婦で通ッぺね。」真面目な顔で話し手はいうのであった。それから村の酒屋ではいくら、どこそこではいくら引っかけられたという話の末に、お宅でもですぺね、と訊くから、少しばかりやられた……しかし問題なのは残されたこの仕事だ、すっかり信用してしまってあてにしていたものだから、というと、
「いや、全くそれは降参(浩さん)しやしたね」といってその農夫は、不精髭に蔽われた熊のような顔でにやり笑ったのであった。



底本:「犬田卯短編集二」筑波書林
  
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