ものへ入っているんだそうだからよ、それを思うと五十円やそこら寄付でもしたつもりになるさ。なアに、たった五十円だい、四五年みっちり働けば、それできれいに抜けっちまア……」
だが、抜けるどころか、一年ならずして親父には死なれ、待望の米価は、ことに浜口緊縮内閣の出現によって一俵七円に下り、繭のごときは一貫二円という大下落で、この地方の重要産物である木炭のごときも四貫俵三十銭、二十五銭になってしまい、かつて儀作の副業……農閑期の馬車挽など、賃銀は下るばかりでなく、どんなに探し廻っても仕事の得られない日さえあるようになった。
その上彼一家には不幸が連続した。前述のように、親父の中風、死に続いて、おふくろ[#「おふくろ」に傍点]が気がおかしくなって前の谷川の淵に落ちて半死のまま引き上げられたり、次には女房が四番目の子を産んで以来、まるで青瓢箪のようにふくれてしまい、ずっとぶらぶらのしつづけである。それらの出来事のために唯一の自作地であった三反の水田も抵当に入ってしまい、たとえその後、米穀法の施行などによって十二三円がらみにまで米価が上ったとはいえ、諸物価……都市工業の製産品はそれにつれてあくまでも騰貴するので追いつく沙汰ではなかったのだ。
このようにして儀作は、ようやく一人前になった忰の岩夫を相手に、この数年間なんとかして世帯をきり廻してはきたものの、さて、かの『荒蕪地』……田んぼの畦や畑境いの不毛地、税金だけはかかってくるが、一文の利用価値もないように思えるその草ッ原を見れば見るほど、考えれば考えるほど、ことに家計の方の苦しみが増大するにつれて、こんどは借金そのものが馬鹿くさいものに思われてならず、つい利を入れようと思っても入れずにしまい、まして忰にそのことを話してきかせるのなど阿呆の限りと、そのまますっぽかしてしまう年が多かった。お蔭でいまでは随分の元利合計になっているであろう。が、いい具合に(?)当の古谷さんでは大してきつく催促しなかった。儀作はその昔からの酒造家……この地方きっての財産家である古谷傅兵衛へは[#「傅兵衛へは」はママ]は若い頃から馬車の挽子《ひきこ》として出入りしていた関係もあって、言わば特別扱いを受けてきたのでもある。
さて、儀作には、いくら鉛筆の芯で半白の頭を掻いてみても突いて見ても、結局、以上のようなことは書けないと分った。で、彼は書きかけの部分を少し消して、あのホウは心配するな、こんど財政をやることになった古谷の若旦那どのは『東京もン』で大学教育を受けた人物であるから、物分りがいいに決まっている。というようなことを書いてそれで打ちきることにした。
二
時局の波は、この東北の山間の村々にも、ひたひたと押しよせつつあった。
幾つかの谷川がK川と名がついて、山あいの細長い耕地を流れ、それがさらにS川に合流しようという地点……M盆地の最も肥沃と称せられる一角に位置する約百二十戸ばかりの部落の、いわばこの地方の物資の小集散地であった中郷にもその波頭は用捨なくやって来て、ことにこの部落の、それこそ旧幕時代から経済の中心をなしていた古谷傅兵衛など[#「傅兵衛など」はママ]、その大きな波濤を全身で浴びて立っている一つだった。
傅兵衛の[#「傅兵衛の」はママ]店舗は、周囲五里余の山腹の村々から、海原にうかぶ一つの白い小さい島のように、不規則に散在する田んぼの中の村々の木立を越えて美しく眺められた。棟を並べた酒倉、白亜塗りの土蔵、石造のがっしりした穀倉、物置、その他雑多な建物の一方に、往還に向って構えられた大きな母家……槻や欅や、裏山に繁る杉の古木に囲まれて、このM盆地の開拓者の誇りを、それは今もって十分に示しているもののようであった。
当主傅介は[#「傅介は」はママ]東京方面で、親父とは少しく違った方面の建築材料商をはじめたとかで、これまであまり村へは姿を見せなかったのであるが、父傅兵衛の[#「傅兵衛の」はママ]他界……と言ってもこの半年以前だが、それ以来、しばしば将来を約束された少壮実業家らしいかっぷく[#「かっぷく」に傍点]で、狭い往還に自家用自動車をとばすのが見られるようになった。人の噂によると、東京での商売があまりうまくいかず、先祖代々の家業の方も、先代の放漫政策のたたりやら、この事変のための生産制限やらで、洗ってみれば殆んど何も残らず、今のうちの建て直しという意図からか、何かの軍需工業を興すについて、まずその資金の調達、すなわち貸金の取立てに着手したとのことだった。
噂はやがて事実となって現れはじめた。祖父、曾祖父以来というような古い証文までどこからか探し出され、しかも一銭一厘の細かい計算の下に、一々しかつめらしい『××法律事務所、弁護士、法学博士、元東京地方裁判所判事、代理人、何某』
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