くては……と抗議してみたが、いまはそんな暇はない。あとで繩を入れて見て、それだけなければ『買い上げ』てやると突っぱねられ、結局、田と畑の持つそれらの不毛地を、彼は五十円ほどに査定せられなければならなかった。
村人の中には百円以上の査定を突きつけられて不平をこぼすものもあった……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。……だが、よくよく考えてみると、それは他人ごとではなかった。もし他村の金持、いや自分の村の金持にしても同様だが、そういう訳の分らぬ連中に落札されてしまって、その畦や畑境へ無茶な植林でもされた日には……何となれば連中とて今度は租税が出るのだから、ただ放置するはずがない。しかしそれこそ取りかえしのつかぬことだった。それでなくてさえ日光に恵まれないこの地方である。半歳を雪の下に埋もれて過ごす耕地のことで、ただ一本のひょろひょろ松のかげ[#「かげ」に傍点]でも、直ちにその秋の収穫に影響した。いきおい、借金しても落札しなければならぬ運命におかれていたのだ。小作地でさえそれは免れられぬ。もし地主に一任しておくなら、つまりは小作料の騰貴でなければならず、でなければ、それこそ杉や桑や、その他ここに適当と思われる樹木の恐れが……。
要するに永久に不毛地に対して小作料を支払うか、あるいは日光を遮られなければならぬか、それとも一時借金してもそこを自分のものにして収穫高を確保するか、この三つに一つである。借金なら何時か返しも出来るであろう。少くとも四五年前のような……あれほど農産物の値上りは望めないまでも、多少なりとも景気が回復すれば、年賦にしてもらって十ヵ年もすれば皆済しうるであろう。
儀作をはじめ、これが一般村民の、結局の到達点だった。…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………年一割から一割五分の利のつくやつ[#「やつ」に傍点]をどうにか工面して、それらの全く思いがけない荒蕪地を払下げて貰わざるを得なかった。それにしても一面、儀作はまだその頃年も若く、ありあまるエネルギーが体内にこもっていた。で、まだ山仕事の出来るくらいだった亡父と話し合った。
「東京の方では、この寒さにまだ寝るところも出来なくて、バラックとかちう
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