。しかもそのことを正直に書いてしまったものだから、早速、忰から「なんでソノ古谷さんの方だけ出来なかったのか、やろうと思えばやれたのではなかったか。それに俺としては、そんな大口のやつがあるとは実は知らなかった……」と詰《なじ》られる結果に陥ってしまった。儀作は、それを弁解かたがたふかい理由を書き送ろうと、鉛筆の芯をなめていたのである。実際、それは彼にとって深い、いや、それ以上に、解りにくい問題だった。
「アノ金は、ナルホドお前には、これまで、きかせずに置いたが……アレは、その、関東大震災のときだったから、コトシで……」
ようやくのことでそんな風にはじめたものの、再び彼は、鉛筆の尖《さき》を半白のいが粟頭へ突き差すように持って行ってごしごしやり出した。どうもやはり駄目だ。
それというのが、村のもの誰一人の例外もなく、それまで、田のあぜ[#「あぜ」に傍点]であり、畑のふち[#「ふち」に傍点]であると考えて、それ以上のことはてんで詮索しようとしなかった山腹や川沿いの荒地(それなしには傾斜地のことで田の用水は保たず、畑地にあっては、耕土の流亡を免れない場所)それが実は官有地であって、『荒蕪地』という名目のもとに大蔵省の所管に属していたとかで、そしてそれだけなら何も問題はなかったのであるが、そこが改めて民間に払下げられることになったという、……もう十七八年も前の話に遡らなければならぬいきさつなのだ。
当時、それと聞いて、誰一人、頭を横ざまに振らぬものはなかったが、儀作にとっても同様、どんなに拳骨で自分の素天辺をなぐってみても、そういう理窟は、いっかな、さらり[#「さらり」に傍点]とはいかなかった。例えば、五十度の傾斜のある地面に水田を拓くとして、もしそれを半畝歩ずつに区切らなければならぬ場合、どうしたって一枚々々の境界に相当の斜面を残さない限り、その半畝歩の平面は拓けないではないか。だからその斜面……拓き残しの部分は、どんなことがあろうと水田や畑の耕作に対して欠くべからざる条件というものであろう。だのに、そいつがいまさら改めて民間に払下げられる?
「もっとも、あすこは田や畑の畝歩へは入っていめえから」とやがて雀の小便のごとく考えをひねり出すものが出てきた。「もともと、官有、いや、昔、殿様か何かの所有だったところを、ぼつぼつ開墾して、その開墾面積だけ登記しておいたもンだろう
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