ばかりの若い先生でさえ、さぶちゃんに対しては一目おかなければならなかった。
 勿論、それは彼の家柄が物をいう故でもあったが、海軍ナイフを振り廻すくらい何とも思っていないさぶちゃんへの気おくれもあったのだ。
 さぶちゃんは村の子供達の総大将となって学校への往復を独裁していた。ある時は隣村の生徒達を橋上に要撃し、ある時は女生徒の一群を襲って、その中の、娘になりかかった何人かの袴の裾をまくった。
 彼は年中誰かをいじめていなければ気がおさまらぬらしかった。圭太は、姿を見せさえすれば苛められた。ことに橋の欄干を渡れと何回か言われて、決して渡ったことのなかったのが、さぶちゃんへ当面の問題を提供していたのだった。

     二

 圭太はすでに欄干の上へ追い上げられていた。彼は振り切ろうとしたが、それが不可能だったのだ。さぶちゃんは握り太の茨のステッキを持っていた。彼の一味の子分達が、またそれぞれの獲物をもって、圭太を取りかこんでしまっていたのだ。
「早く渡らんか!」
 さぶちゃんはステッキで圭太の尻を小づいた。
「渡らなけりゃ、みんなして川の中へ突き落としてやるから。」
 傍から二三のものが口を出す。
「下駄で渡れ!」
「裸足《はだし》で渡ったんでは、渡った分だないぞ!」
「さあ、早く!」
 さぶちゃんは眼に角を立てた。
 仕方なしに圭太は下駄を脱ごうとした。渡って見ないで渡れない圭太だった。それだけにもう身体がふるえてきた。
「下駄で渡るんだ!」
とさぶちゃんは命令した。圭太は反抗するだけの勇気がなかった。否、あったとしても今の場合どう出来るであろうか。
 彼は片手でしっか[#「しっか」に傍点]と鞄をかかえ、脚に力を入れて立ち上ろうとした。が、駄目だった。下を見ると遙か底の方で、青い水がくるくる、くるくると渦を巻いて流れている。ちょっとでも手を離そうものなら、ふらふらと、そのままその中へ落ちてしまいそうである。――実際、いつの間にか、自分の登っている欄干が、橋もろとも傾いて、すうっと上流の方へ走っているような気さえしてきた。
「何びくびくしているんだ。早く! 早く渡るんだ!」
 さぶちゃんはぴしり圭太の尻をなぐりつけた。
「これくらい渡れないで日本男子だアねえぞ! やあい、貴様はチャンコロか露助か、この臆病奴!」
「渡れなけりゃ、今日一日そこに突っ立っているんだ、いいか。
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