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そして、色々の節を吹いていたが、それがなかなか上手にやっていた。一節吹いては興じ合って、みんなが元気に笑っていた。私はそれを面白く感じた。
私は人の言葉つきで、その人が今日自分に、どういう用向きで来たかということが、あらかじめわかる。
その人がどういう態度をしているかということも、自然に感じられるのである。
ある夏の暑い時であったが、或る人が尺八を合せに、私のところに来たことがある。その人とは心易い間柄だったし、丁度その時は誰も居合わせなかったので、その人が上著を脱ぎ、はだかになって尺八を吹き出した。私はそれを感じていたけれども黙って合奏をしたのであった。そしていよいよ済んだあとで、私が今日のような暑い日には、はだか[#「はだか」に傍点]でやると大変涼しいでしょうなあ、と言ったらその人は驚いて、這《ほ》う這《ほ》うの体で帰ってしまった。その人は別に私を誤魔化そうと思ってやったのではなく、心易さからのことだったろうが、私の言ったことが当たったのであった。
とりわけ、声で、一番私の感ずることは、バスや円タクに乗った場合である。
声を聞いただけで、今日は運転手が、疲れている
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