るものがある。例えば「どこそこに行ってよ」「何々してるわよ」とか、同じ返事をするのに「はい」とか「へい」とか言わずに、近ごろは「ええ」という返事をする。こういう言葉はざつのようであるが「よ」とか「ええ」とかいう言葉に、非常に親しみがこもっている。
 そうかと思うと、言葉の途中を略して、頭と仕舞の言葉をくっつけて言ってしまうのがある。それも中には、耳だけで聞いて可愛らしい感じのするのもあるが、しかしいくらスピード時代でも、言葉全部を言ったところで、そんなに時間はかからないのだから、やはりまともに言って貰った方が、聞いていて気持がよい。
 前にも一寸言ったが、年齢で言葉が違うように、同じ言葉でも年配の人が言って、似合うのと似合わないのとがある。学生の言葉を年輩の人が言ったら、聞いた感じが不似合いなものであろう。また、同じ婦人の中でも子供を持った人と、持たぬ人の言葉を聞いた感じは、どうしても相違があるようである。子供を持った人は、子供に対して情があるせいか、他人に対しても言葉に柔か味があるように思われる。これは一概に言えないが、持たぬ人の中には、同じ話をしていても、どこか言葉の途中に或る冷た
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮城 道雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング