こうして現実の光から遠ざかった私は、耳で聞いたり、手に触れたりする感覚によって、また見る世界を想像するのである。
 何時であったか、増上寺のお霊屋で、全国から集った婦人の髪の毛を、一本ずつ織りこんで浮きだしたようになっている極楽の絵をさわってみて、深く感じたことがあった。
 フランスのドビッシーは、日本の絵を見ていろいろ作曲されたといわれている。また昔、ある絵かきが、※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]※[#「てへん+皎のつくり」、第4水準2−13−7]の弾く箏の音色を、隣りの間で聞きながら、絵を描いたとかいう話を聞いた。私は耳できいて、絵のようなものを感じるのである。また私は仏像や、その他いろいろの物をさわって楽しむ。それが冬の寒い時など、細かなところをさわるのに、指先の感じがにぶるので、火にあぶったり、摩擦したりして、撫でるのであるが、それが暖かくなると、らくらく指先に感じる。
 嬉しいことには、今年も早や、春が訪れて、つい、二三日前から、家の庭に鶯が来て、しきりに囀っている。
 或る朝、私が眼を醒ますと、春雨のしとしと軒を打つ音が聞こえて、すぐ横の障子の外の方で、鶯の
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