と二畳敷の所へ庭の外まで道具が並べてあるから迷惑だと言う。
こういう風でお互は七夕の星のようである。がしかし私は時々内田氏のことを思い出すとあの低い声が聞こえてくる。近頃はさすがの百間先生もビールには悩んでいられるようである。のどがカラカラになって水の涸れた泉のようであるという手紙を貰ったことがあった。
いつか帝劇の楽屋で会った時、たった一本であったがおみやげにと遠慮しながら出した。すると、※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]※[#「てへん+皎のつくり」、第4水準2−13−7]、そう遠慮しなくともちょうど鏡が前にあるので、それにうつって二本に見えると言われた。また或る時弟子から貰ったのを届けさせたら、私のいる葉山へ、サンキュー・ビールマッチという電報が来た。私はそれを読んで貰って耳で聞いた瞬間、面白いなと思った。
今年の春私は宇都宮へ演奏にいって急に肝炎と中耳炎を患って旅先で寝ていると聖路加病院の畑先生が東京から駈けつけて、今来ましたよというその声を聞いた時にはなんともいえぬ心丈夫な気がした。しかし耳が遠いのと熱があるので、すべての物音はおぼろであった。その夜先生は一睡
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮城 道雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング