聞いて、私はもう胸が一ぱいになった。今日こそは眼が治ると思って、楽しんでいたのに。
 私はその頃、神戸に住んでいたが、その九歳の年の六月一日に、兵庫の中島※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]※[#「てへん+交」、第4水準2−13−7]の許へお弟子入りをした。師匠が手を取って、最初に教えられたのは「四季の花」であったが、その唄い出しの“春は花”という節の箏の音色に、私は幼いながらも、何か美しいものを感じた。
 箏を習いはじめると、昨日よりは、今日、今日よりは明日と言うように、何か希望がわいて、眼のことなど忘れて心が明るくなって来た。しかし、眼の方は何時の間にか明りも見えなくなっていた。
 師匠はきびしく、盲人は記憶力が肝腎である、一度習ったことを忘れたら、二度とは教えてやらないと常に言われた。
 ところが、私が三味線の本手の「青柳」と言う曲を忘れた時、ひどく叱られて忘れたのを思い出す迄は、御飯も食べさせない、家へも帰らせないと、留めおきをくった。ところが不思議なことに、お腹がすいてくると頭がさえて、忘れたのもつい想い出すのである。
 また寒稽古といって、寒中に戸障子を明け放して
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