々若返って、百五十迄は生きられる様になる研究が進められているとか、私にとってはいずれも、耳よりの話であった。しかし私は、今はもう眼が明きたくないと思っている。それは自分が子供の時に見た月とか花とか、いろいろの景色も今も覚えていて美しく想像している。また私は何時迄も長生をしたいと思っているが、しかし寿命が来れば、何時何時でも安心して往きたいと思っている。
 私のただ一つの望みは、寿命の来る迄相変らず箏が弾ける様にと、そればかり願っている。
 こんなことを考えている中に、何かざわめいたと思うと改札が始った。その人は、親切に私をかかえる様にして階段をのぼらせてくれたが、列車が這入って来ると、混雑して、ろくにお礼も言わない中に、その人とはぐれてしまった。
 発車のベルの鳴る頃は降りしきる雨の音が一しきりはげしかった。夜中過ぎても私は眠れなかった。急ぎの作曲があったので、それを考えようとすると、隣りにかけていたおばあさんが小さい声で義太夫を語り始めた。そのうち、おばあさんは眠ったらしい。静かになったので、私はさっきの続きを考えはじめると、おばあさんが急に眼を醒まして、今度は三十三間堂のさわりを始めた。その声が誰にも聞こえない程小さいので、私にはそれが一層気になって仕事がはかどらなかった。
 朝東京へ著くと、早速夕べの人を探したがどうしてもめぐり会うことができなかった。



底本:「心の調べ」河出書房新社
   2006(平成18)年8月30日初版発行
初出:「古巣の梅」雄鶏社
   1949(昭和24)年10月5日
入力:貝波明美
校正:noriko saito
2007年12月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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