ートンより偉大な天才であつた。彼等はウエリントンより偉大な戰士であつた。武器の使用の範圍を知つた彼等は、その無用なことを悟り、惱める世界に向つて、救ひは暴力に存せずして非暴力に存すること教へたのである。
 動的状態に於ける非暴力は、意識的の受難を意味する。それは惡を爲す者の意志におとなしく服從することを意味しない。吾々の全精神を擧げて壓制者の意志に反抗することを意味する。人類のこの法則に從つて行動するならば、一個人にしてよく不正な國家の全權力に反抗し、その名譽、宗教、靈魂を救ひ、國家の沒落若くは再生の基礎をうち建てることが出來る。
 從つて、私は印度が弱いから非暴力を實行せよと云ふのではない。私は、印度がその力を自覺して、非暴力を實行することを望む。印度が自己の力を自覺するには、何等の軍隊的訓練を要しない。吾々がややもすれば自己は一塊の肉に過ぎないと考へるから、そんなものを必要だと思ふのである。私は印度があらゆる物質的弱點を超越して凱歌を擧げ、全世界の物質的結合を蔑視し得る不滅の靈魂を有つことを自覺せむことを望む。猿の群を引連れた一人の人間ラーマが、ランカの怒濤によつて保護されてゐる傲慢な十個の頭を有つたラヴアンの力に反抗するといふ聖典中の物語は何を意味してゐるか。それは精神力の物質力征服を意味してゐないか。しかし、私は實行家として、印度が政治界に於ける精神生活の實行力を認めるまで待つてはゐられない。印度は自己が無力であると考へて英國人の機關銃や、タンクや、飛行機の前に萎縮した。そして印度は自己が無力であるから「非協同を採用」した。この非協同は同じ目的に役立つに違ひない、即ち十分に多數の印度人がそれを實行するならば、英國の不正の苛擔から印度を解放するに違ひない。[#「違ひない。」は底本では「違ひない」]
 私はこの「非協同」を愛蘭のシン・フエーン主義と區別する。何となれば、「非協同」は暴力と肩を並べて進むことを許さないからである。私はこの平和的な「非協同」の試用を暴力派の人々に勸める。「非協同」はもともと弱いものだから、失敗することはないだらう。それは手答がないために失敗するかも知れない。それが眞に危險な時期である。國民的屈辱を最早忍べなくなつた高潔の士は、その怒を漏らしたくなるであらう。彼等は暴力に訴へるであらう。然し私の知る限りでは、彼等は彼等自身又は彼等の祖國を非道な待遇から解放することが出來ずに死ななければならぬ。若し印度が劒の教義を採用したら、一時的の勝利を得るかも知れない。が、その時には、印度は私の心の誇りとはならなくなる。私が印度に愛着を感ずるのは、私のすべてを印度に負うてゐるからである。私は印度が世界に對して一つの使命を有つてゐることを堅く信じてゐる。印度は盲目的に歐羅巴を模倣してはならない。印度が劒の教義を採用する時は、私の試練の時であらう。私はその時が來ないことを望む。私の宗教は地理的限界を有たない。その信仰を把持する時それは私の印度に對する愛をも凌ぐであらう。私の生涯は、私が印度教の根柢であると信ずるところの非暴力の信仰によつて、印度のために盡すことに捧げられるであらう。
 私は私を信じてゐない人に敢てお願ひするが、私を暴力主義者と考へて、暴動を煽動し、始まつたばかりの鬪爭の圓滑な進行を妨げないやうに望む。私は祕密は罪惡として嫌つてゐる。試みに諸君は「非暴力的非協同」を行うて見られよ、然らば私が何等隱し立てをしてゐないことが分るであらう。

[#天から3字下げ](一九二〇年八月十一日「ヤング・インデイア」紙所載)



底本:「ガンヂーは叫ぶ」アルス
   1942(昭和17)年6月20日初版発行
初出:「ヤング・インデイア」
   1920(大正9)年8月11日
入力:田中敬三
校正:小林繁雄
2007年4月30日作成
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