ヘ大震災で焼失したかも知れないが、幸いにそれが無事だったとしても、あるいは今回の大戦火で烏有に帰したのであろう。もしまた東京に置いてなかったなら何れかの所にあるのかも知れないが、今日では全くこの南天大木の消息は判らない。もしも万が一どこかに無事に残存していたら極めて珍重すべきものたることを失わない。敗戦で日本は大分狭くはなったが、それでもなおなかなか広いからどこの国にあるいは右に優る巨大なものがないとも断言は出来ない。
上の南天巨幹はその根元から七本に分かれ、その中の最大の主幹は株元から曲尺《かねじゃく》二尺一寸五分ばかりの辺に最下の一枝があり、根元から五寸ばかりのところは周り八寸あって、そして幹の全長は一丈四尺五寸あった。
今日右とは別に私宅にも一本の巨大な南天の材が保存せられてある。長さは上述近江のものには及ばないが、太さは根元から八寸ばかりのところで周囲まさに九寸を算するから、右近江のそれよりも一寸多い(しかし最下の方はやや小さくなっている)。してみると、これは近江のものより少々優越していることになる。私は大正十二年(1923)八月にこれを備後三原町南方の在で得たが、当時一漁
前へ
次へ
全361ページ中92ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 富太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング