蘭山がジャガタライモを馬鈴薯だといった後五年しての文化十年(1813)に大槻玄沢《おおつきげんたく》は、この蘭山の考えている馬鈴薯をジャガタライモの漢名とするの説を疑い、これを栗本丹洲《くりもとたんしゅう》に質問したが丹洲もまたその説を疑ったということが白井光太郎《しらいみつたろう》博士の『改訂増補日本博物学年表』に出ている。
 元来馬鈴薯というものは中国の福建省中の一地方に産する一植物の名で、それが『松溪県志《しょうけいけんし》』(松溪県は福建省地方の地名)と題する書物に僅かに載っているが、それがどんな植物であるのかは中国人でさえもこれを知らず、またかろうじての右の県志のほか、ありとあらゆる中国の文献には敢て一つもこれが出ていない。すなわち得体の分らぬ一辺境の中国土産の品で、中国人でさえも一向に知らないオブスキュアの植物である。
 しかるにジャガタライモは元来外国産、すなわち南アメリカのアンデス地方の原産のもので、四三三年前の西暦一五六五年に初めて欧州に入り、後ち欧州から東洋に持ち来たされ、ついに我が日本におけると同様に中国にも入りこんだものである。この事実からみても、それが元来の中
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