に九州や隠岐の国あたりでは其若いのを喰べる。先年自分は九州の鐘《かね》ヶ崎[牧野いう、筑前宗像郡、海辺の地にダルマギクを産する]で、特に望んで喰わせてもらったが、海から取って来たのをよく洗って、鉄鍋を火にかけて、その上でなまのミルをあぶると、茹菜《ゆでな》のようになるのを、酢味噌などで喰べる工合は、全く茹菜と同じである。昔は今日よりもよほどミルの用途がひろかったとみえて、越後名寄巻十四|水松《みる》の条に「咬《カ》ム時ハムクムクスルナリ生ニテモ塩ニ漬ケテモ清水ニ数返洗フベシ其脆ク淡味香佳ナリ酢未醤《スミショウ》或ハ湯煮ニスレバ却テ硬シテ不可食六七月ノ頃採ルモノ佳ナリ」とある。それから古い書物に海松の貯蔵法があるが、それに「ざっと湯を通し寒の水一升塩一合あはせ漬置くべし色かはらずしてよく保つなり」とある。また灰乾として貯えてもおくとみえる。これを食するのは、その色の美しさと香気とを愛したものであろう。任日上人の句に「蓼酢《たです》とも青海原をみるめかな」とあるのは、自分の考えでは、青海原を蓼醋とみなしてそれに云いかけた洒落であろうと思うが、多分海松は蓼醋などで喰べたものであろう。また其角
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