と、燕の尾に似たり」と書いたものなどがある。元来燕の姿は前方に一つの頭があり、その体躯の左右には翅翼があり、後方には両岐せる一つの尾があって、いわゆる左右相称の偏形を呈しているから、それが斉整均等なる輻射相称の形を呈せるカキツバタの花容とはいっこうに合致しない。次に「藤に生ず」とあるが、これは痩せて長いヒョロヒョロした茎、すなわち藤《ツル》のような茎に生じているとの意であるから、わがカキツバタのように茎がツンと一本立ちに突き立っていては決して藤のようなと形容することはできない。次に「一枝に数葩」とあるこの数葩は数花の意であるから、一つの枝に四、五輪かないし七、八輪かの花が付いて咲いていなければ都合が悪いが、カキツバタの花はたとえその茎頂にある鞘苞中に二花ないし三花が含まれてはいるとしても、しかしその花は順を追って新陳代謝し一日に一花ずつしか咲かないから、それは決して数葩すなわち数花が開くとは言えないのである。
 上のように燕子花を捕えそれが断じてカキツバタその物ではないと宣告しさると、しからばその燕子花とはいかなる正体の草であるかの問題に逢着する。すなわちこれはすこぶる興味しんしんたる裁判であるといえる。
 私はわが独自の見解に基づきこの燕子花、それはかの『渓蛮叢笑』の燕子花をもって、キツネノボタン科に属する飛燕草属の一種なる Delphinium grandiflorum L. var. chinense Fisch. であると断定して疑わない。この種は支那の北地ならびに満洲にも野生してふつうに見られ、秋に美花をひらいて野外を装飾する。今その草の状を見ると『渓蛮叢笑』の文とピッタリ吻合する。たとえその書の文が短くても、これを翫読してみるとそこにその要点が微妙に捕捉せられているのが認められる。和名をオオヒエンソウと称する。
 上のごとくカキツバタが燕子花ではないとすると、しからば同草の漢名はなんであるかということになるが、私は寡聞にしてまだカキツバタの正しい漢名を知らない。カキツバタは北支那にもあるからきっとなにかその名がなくてはかなわないが、今はそれが判らない。しかし待っていれば早晩明らかになる時期がいたるであろう。
 右のように従来わが邦で用いられている漢名には、その適用を誤っているものがすこぶる多い。かのケヤキに欅の字を用い、アジサイに紫陽花を用い、ジャガイモに馬鈴薯を用い、フキに※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬あるいは蕗を用い、ワサビに山※[#「くさかんむり/兪」、202−5]菜を用い、カシに橿を用い、ヒサカキに※[#「木+令」、第4水準2−14−46]を用い、ショウブに菖蒲を用い、オリーブに橄欖を用い、レンギョウに連翹を用い、スギに杉を用うるなど、その誤用の文字じつに枚挙するにいとまがない。この悪習慣が一流の学者にまで浸潤し、どれほど世人を誤っていて事体を複雑に導いているか、じつにはかり知るべからずである。こんなわけであるから古典学者などは別として普通一般の人々は、植物の名はいっさい仮名で書けばそれでよいのである。なにも日本の名を呼ぶのにわざわざ他国の文字をかり用いる必要は決してないと私は深く信じている。そしてこれは明治二十年以来の私の主張であるのである。



底本:「花の名随筆6 六月の花」作品社
   1999(平成11)年5月10日初版第1刷発行
底本の親本:「牧野富太郎選集 第二巻」東京美術
   1970(昭和45)年5月発行
入力:門田裕志
校正:川山隆
2007年12月9日作成
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