そうであるように永遠に証明さるることのない仮説であり、たんに一つの合鍵であるのに過ぎないが、アメリカ外交史にとってはおそらく比較的名誉ある合鍵であろう。なぜなら、いかなる仮説も必要としない動かすべからざる事実として、オッペルト遠征隊事件の後三年目の一八七一年には正真正銘の合衆国遠征隊が、三艘の蒸汽船の代りにフリゲート一隻、コルヴェット二隻、砲艦二隻からなる大艦隊を伴い、牧師と山師の代りに全権ロウおよび提督ジョン・ロージャースに率いられて同じ江華島を襲い、五個の砲台を破壊し、破四百八十一門、軍旗五十流、朝鮮兵の生命二百五十を奪ったが、そのための理由は前に記したる大同江上の怪米船ジェネラル・シャーマン号の被害(※[#疑問符感嘆符、1−8−77])にあったのだから、どう弁じてみたところで「名誉ある」遠征とはいえそうもないのだ(この不名誉な居直《いなおり》強盗的遠征もまた失敗に帰した。米国の戦略は一八五八年の太沽《たいこ》砲台攻撃の故智にならったのだといわれているが、大院君は清帝とちがって、首都間近の砲台を破られても絶対に恐入らなかったから、空しく引揚げるほかはなかった)。
最後にオッペルトの「物語」中、唯一の正しい告白は、神の教のためには王陵を曝くもまた可なりというフェロン師その人の心事のみであろう。儲けそこなった山師オッペルト自身は、著書『禁断国・朝鮮紀行』一巻を、フェロン師でなくドン・ペドロ二世に献題した。
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謹んでこの書を
ブラジル皇帝
ドン・ペドロ二世陛下に捧ぐ
陛下の保護によりて地理学および人種学の研究は長足の進歩を遂げたるが故に。
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(オッペルトの『禁断国』は英独両語版とも、上野図書館にあるが、たしか英語版の方だったと思う、「明治十四年十二月七日購求、教育博物館印」と大きく押してあった。このほかにW・E・グリフィスの『仙逸国民』(一八八九)、モールスの『支那帝国国際関係史』、窪田文蔵氏『支那外交通史』その他を参照したことを付記しておく)。
底本:「黒船前後・志士と経済他十六篇」岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年7月16日第1刷発行
底本の親本:「服部之総全集」福村出版
1973(昭和48)〜1975(昭和50)年
初出:「黒船前後」大畑書店、
1933(昭和8)年9月刊
※底本は、
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