島の官庁へオッペルト一行を招待することを申出て下船したのだ! こうした二重三重の不可能事がかりにすべてありえたとして、そしてそのいっさいが洋夷一行を黒船から陸へおびき寄せて撃つための策略に出たものとして、オッペルトの物語を合理化してやろうにも、翌日上陸後に起った「不祥事」の原因を、あくまでオッペルトは、「一行中唯一人の不徳漢たりし一外人水夫」の所為に帰している。
 彼ら――オッペルト、船長、フェロン師以下――は官兵と仲よく談笑しながら「散歩」していた。その間に例の不徳漢が朝鮮人の小牛を盗んで帰ろうとしたので、朝鮮兵から射撃され、マニラ人が一人即死、一人負傷、問題の不徳漢自身も負傷のため死んだ。「マニラ人は可愛想だったが、事件の元凶たる不徳漢が所詮《しょせん》天罰を免れ能《あた》わなかったという事実は、我々一同を満足させた、小牛はいうまでもなく返却した…………」。
 してみるとオッペルトは、その敵を最後まで疑ってすらみず、引懸った策略の結果をさえひたすら自己側の不徳に帰して自己を責めるほどの、善人中の善人として、いみじくも自己を画き出したものといわねばなるまい。彼の『紀行』中に出てくる悪人といっては、ただ虐政者大院君と牛泥棒の水兵あるのみで、前者にたいする王陵発掘事件も後者にたいする死の処罰も、ともに天理と世界正義の発動であり、しかもオッペルトが最後にいたって天から降ったように書加えたところによると例の牛泥棒の不徳漢は「我々の内地進入(撥陵行)を遅延させた張本人でもあった」(どこで? いかにして? はいっさい不明)というから、彼の物語は天の配剤をうまく表現した大メロドラマでもあるわけだ。
 ともあれこれで、撥陵遠征隊の指揮者オッペルトと提案者フェロン師との至善至高の人格は、一応論証された形であろう。だがそれならなぜ、いま一人の大幹部――そもそもこの遠征隊の金方であり、しかもこの事件のため公判廷に立ったただ一人の幹部であった、米人ジェンキンスの人格のために、一言半句オッペルトは弁じることをしないのであるか? ジェンキンスに関しては最後にただ一回きり、しかも本名を記さずイニシァルをさえ一字動かして、「私に最も有用な援助を与えてくれたアメリカ紳士I氏」の存在を書いたのみである。
 いかに巧妙に粉飾されたスキャンダルでも、金筋をたぐってゆけばその地上的本質がたあいもなく曝され
前へ 次へ
全15ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
服部 之総 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング