暁、例の「護衛隊」を率いて小艇に乗換える。河幅は約半マイル、平野で、村々が指呼できる。村人がいぶかしそうに土手にならぶ。グレタ号は中流に位置を保ちながら、三十マイルを四時間で上陸予定地へ着くつもりのところ、午前十一時までかかった。
 上陸する。小村を支障なく通過。樹影一つない平野を過ぎると、やがてうるわしい丘陵地帯になって、相当な町に出た。外郭をそっと通過するつもりが、運悪く一隊の朝鮮兵と出逢ってしまった。「恫喝《どうかつ》」したら兵士は逃散したが指揮官だけは決死の形相で道をはばんでいる。今度は朝鮮語のできるフェロン師の番だ。うまく説教したと見えて、やがて指揮官は、おりがら日射病で倒れた「護衛隊」の一人のために、山駕《やまかご》を心配するという変り方だった。それはよいとして、すでに大変な予算狂になっているのが発見された――厳密なスケジュールによると少くとも午後一時には目的地に着いているはずが、今その時刻になってしかもやっと半途、加えるにこれから先きは上り坂の難路ときている!
 だが、四辺はいよいよ美わしく、二、三の牧夫以外には人家も認められなかった。ようやく五時前になって、ガイドの朝鮮人が指呼した方角を見上げると、西側が絶壁となって谷へ陥ち込んでいる峻険な連山が望まれた。約半時間の後その頂上に一行は立った。
 オッペルトには生れてはじめて見る絶勝だった。山腹の森蔭に村があって、やがてぞろぞろと出てきた村人たちから、難なく問題の場所を教わることができた。
(朝鮮の史料では伽洞民衆は武装した洋夷一行を見て守衛とともに逃散したはずだ。が、ともかくオッペルトについてゆこう)。
 非常に奥まった場所だった。ところが、案に相違したのは王陵の物々しく厳重な構造である。「聖骨」は単に石造の建築物中に納められているものとばかり想像して来たのに、これはまた四周一面頑丈な土壁で衛《まも》られていた。ともかくまず壁の一部を壊して入口を作る仕事にとりかからなければならない。もとよりそんなはずではなかったから道具の準備もないので、村から「撰んで」きた鍬《くわ》か何かで、とりかかった。
 壁破りの仕事だけで、五時間も費した!
 と、今度は、もっともっと大きな困難に出くわした。せっかく壁を壊してみたら、予期した通路どころか、大きな切石が背中を見せて塞がっていたというのだ。
 石を取除くにはあとまだ
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