九三トン)は同じ年に実に八十九日二十一時間の驚異的記録を作った。
だがカリフォルニアン・クリッパーに関する最大の驚異は、それがニューヨーク・サンフランシスコ間だけでなく、いわゆる「三角航海」によって全世界を席巻《せっけん》したからであった。マルクスがいったように太平洋をはじめて世界市場に編入し大西洋を単なる「内海」の地位に却《しりぞ》けてしまう最初の芸当を、美事にやってのけたからだ。
「三角航海」とはニューヨーク、サンフランシスコ、広東(または上海)の三点を一航路に結ぶ世界周航路で、カリフォルニアン・クリッパーはこのコースをとったものである。すなわちニューヨークから、満載した貨物と旅客をサンフランシスコで下ろすと、空荷のまま一気に太平洋を乗切って、広東または上海で茶を積込み、インド洋および喜望峯経由で帰航する。
このコースはきわめて合理的だった。第一にカリフォルニア貿易は五〇年代を通してほとんど片道貿易だった。すなわち金の輸送は少数の船に限られており、人間は金掘に失敗した者もすべて定着して戻らない。これが砂金の代りに金色の麦を輸出するようになったのは五五年以降で、なおきわめて少量だ
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