るが貿易はおことわりだといった種類の条約が、足掛《あしかけ》五年も続いたというのはどうしたことか! 結婚はあきらめましょう。兄妹としていつまでも愛して頂戴などという類《たぐい》のたわごとが、三十代の壮年資本主義国に適用するはずがない。
 ペリーとハリスことにハリスを、幕府が頑《かたく》なな処女のように貿易だけはというのを、脅したりすかしたりで結局物にしたその道の名外交官扱いにするのは勝手であるが、しかし「和親条約」はそれだけで立派な存在理由をもっていた。
「亜墨利加《アメリカ》船、薪水《しんすい》、食糧、石炭、欠乏の品を、日本人にて調《ととの》へ候|丈《だけ》は給し候為、渡来の儀差し許し候」――サンフランシスコと上海をつなぐうえに不可欠な Port of Call――ことに石炭のための寄港地として、ヨコハマがぜがひでも当年のアメリカに必要だったのである。
 新市場候補地としての日本は、シナ市場のつぎに来るべきものとして、すでに三〇年代から米国の予算にはいっていた。一八三二年のアジア修好使エドムンド・ロバーツにたいしても、シャムその他の後にするも可なりという但書付で、日本訪問が指令されて
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