ロンドンへの距離とパナマ経由ニューヨークへの距離とは同一だった。つまり上海以西ならばロンドンに近く、以東ならばニューヨークに近い。
 海軍委員会の報告は比較をリヴァープール(ロンドン)・シナ間――喜望峯経由――ないしニューヨーク・シナ間――ケープホーン経由――の帆船所要日数と新設汽船航路の推定日数との間で行った、はなはだ身勝手な推論だった。だがそれにもかかわらず、この推論に、ある種の合理的な理由が存在していなかったろうか?
 彼阿《ピーオー》ラインといわず、すべて五十年までの汽船は、貨物輸送の点で帆船と競争する能力がなかった。まだ複式機関が発明されてなく、マリンエンジンはすべて低圧の単気筒式だったから――おまけに海水を使っていた――おそろしく石炭を食って金がかかるうえに、寄港地を欠く大洋航海では炭庫に場所を塞がれて貨物庫の余裕が思うほど取れない。だから当年の彼阿《ピーオー》ラインなども、今日の飛行機のように旅客および政府補助金付の郵便物に依頼して、貨物は若干の絹を積むくらいで大部分は帆船に委ねていた。船の大きさも千トンから二千トン級。
 これにたいして黄金狂時代が作り出した太平洋郵船《
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