ているが、太平洋以西はサンフランシスコまで北上したところで、スペイン人の修道館が一つボソリと立っているだけだ。
 ダナが訪れた一八三五年のサンフランシスコは――
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「投錨地の付近といわず、およそ湾岸全体、人影一つなかった……ふなべりを猛禽や渡鳥がかすめた。樫《かし》の森には野獣の列がゆききしていた。潮に乗ってしずかに湾頭を去らんとするとき、北岸の汀《みぎわ》に鹿がならんで、いぶかしそうに見送ってくれた」。
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 このカリフォルニアが米墨戦争でアメリカに帰してから三年目にあたる一八四八年の一月十日に、ジェームス・W・マーシャルという男が、新領土カリフォルニアのサン・ジョアキン・ヴァレイで、はじめて砂金を発見した。このニュースがニューヨークの新聞に出たのが、実に九月の十六日だというから、もってそれまでのカリフォルニアが、そして一般に太平洋岸がアメリカにとって何ものであったかが察せられるだろう。
 だが一度金鉱発見の報が伝わると、事態はガラリと変ってしまった。電話で、アメリカじゅうに報告される。大統領ポークが十二月には正式に報告する。やがて、熱病的なゴールドラッシュ!
 今日のネブラスカの大豊原は、そのころ「大亜米利加沙漠《グレートアメリカン・デザート》」だった。その沙塵をあげて、カヴァード・ワゴンの列が、幾万という黄金探索者《アルゴノーツ》を西へ西へと運ぶ。沙漠が果てると山だ。倒れる者、引返す者を棄てて四九年の七月頃には、サクラメント・ヴァレイは羊ならぬアルゴノーツの群で身動きもならぬ景観だ。
 たちまちマサチュセッツ州だけで百二十四もの金鉱会社が生れた。遠くロンドンでも正月中だけで五組のカ州金鉱会社が設立され、資本総額一、二七五、〇〇〇ポンドにのぼった。「極東」のシナ人までこめた世界じゅうの黄金|亡者《もうじゃ》が、バラックと二|挺《ちょう》短銃と砂金袋と悪漢とシェリフの国をつくるべく押寄せた。無人の広野はかくて四九年の末までに約十万の人間を呼集め、うち陸の幌馬車組が五万二千、のこりはことごとくケープホーンに帆を光らせる海のゴールドラッシュである。
 金鉱発見以前、四七年四月から、八年四月までの一年間に大西洋岸から金門湾に入った船はたった四|艘《そう》だったのが、つぎの一年間には、一躍七百七十五艘に激増した。このなかには後に述べる汽船も若干入っているが、ほとんど帆船で、あり合せのいっさいの船が動員された。そのため太平洋従来の捕鯨業はぱったりになった。そのくせ金門湾には百艘以上の船が繋船されて、病院になったり倉庫になったりホテルに使われたり仮監獄にあてられたり、あるいは空しく荒廃に委されていた。船員がおさらばをきめてゴールドラッシュしたのだ。ついに船員に二百ドルの月給が支給されたが、金鉱夫になるとらくに一日三十ドルになった(もっとも物価の方も、たとえば茶、珈琲《コーヒー》、砂糖が一ポンド四ドル、靴一足四十五ドル、肝心な金掘道具の鶴嘴《つるはし》やショベルが五ドルから十五ドル、という有様だった)。
 ざっとこんな海の黄金狂時代のなかから、われわれは二つの新しい現象を見わけることができる。第一は一八四七年に創立され、四九年からニューヨーク・サンフランシスコ間の定期航路を開始した太平洋郵船《パシフィック・メイル》の汽船航路である。第二は、五〇年末からはじまったいわゆるカリフォルニア・クリッパーの帆船航路であった。
 このうち第二のものは五〇年正月のマルクスの眼には映じていなかった。その正月三十一日にロンドンで書かれたマルクスの国際評論には、四〇年代に名ばかり南太平洋岸に届いた汽船航路の西端が、堂々東太平洋中岸に延びて、近代資本主義世界を円形にすべく、対極|広東《カントン》に向って一大デモンストレーションを行っている新事態が、「アメリカの発見そのものよりも重大な結果」として分析されている。

[#7字下げ]三 マルクスの評論[#「三 マルクスの評論」は中見出し]

 本文冒頭に掲げた句をうけて、マルクスは記している。
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「三百三十年の間、太平洋に向うヨーロッパの全商業は、感心すべき気永《きなが》さであるいは喜望峯を、あるいはケープホーンを迂回《うかい》して行われてきた。パナマ地峡|開鑿《かいさく》の提案はすべてこれまで商民の偏狭な嫉妬心に妨げられて来た。
 カリフォルニア金鉱が発見されてから十ヶ月になるが、すでにヤンキーはメキシコ湾方面から鉄道と大国道と運河の工事(1)に着手した。ニューヨークからチャグレスへ、パナマからサンフランシスコへ、汽船はすでに定期航路についている。太平洋の商業はいまやパナマに集中した。ケープホーン迂回航路は古くなった。
 緯度三十度にわたる海岸、世
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