せずと、そこ退《の》きゃ」
「なりませぬ」
「ええもう、退《の》きゃというに、退《の》かぬか」
 手荒《てあら》く突《つ》き退《の》けられた一人《ひとり》の侍女《じじょ》は、転《ころ》びながらも、お蓮《れん》の裾《すそ》を確《しか》と押《おさ》えた。
「お嬢様《じょうさま》。お気《き》をお静《しず》め遊《あそ》ばしまして。……」
「いらぬことじゃ。放《はな》せ」
「いいえお放《はな》しいたしませぬ。今頃《いまごろ》お出《で》まし遊《あそ》ばしましては、お身分《みぶん》に係《かか》わりまする。もしまた、たってお出《で》まし遊《あそ》ばしますなら、一|応《おう》わたくし共《ども》から御家老《ごかろう》へ、その由《よし》お伝《つた》えいたしませねば。……」
「くどいわ。放《はな》せというに、放《はな》さぬか」
 夢中《むちゅう》で振《ふ》り払《はら》ったお蓮《れん》の片袖《かたそで》は、稲穂《いなほ》のように侍女《じじょ》の手《て》に残《のこ》って、惜《お》し気《げ》もなく土《つち》を蹴《け》ってゆく白臘《はくろう》の足《あし》が、夕闇《ゆうやみ》の中《なか》にほのかに白《しろ》かった。
「もし、お嬢様《じょうさま》。――」
 池《いけ》を廻《まわ》って、築山《つきやま》の裾《すそ》を走《はし》るお蓮《れん》の姿《すがた》は、狐《きつね》のように速《はや》かった。
「それ、向《むこ》うから。――」
「あちらへお廻《まわ》り遊《あそ》ばしました」
 男気《おとこけ》のない奥庭《おくにわ》に、次第《しだい》に数《かず》を増《ま》した女中達《じょちゅうたち》は、お蓮《れん》の姿《すがた》を見失《みうしな》っては一|大事《だいじ》と思《おも》ったのであろう。老《おい》も若《わか》きもおしなべて、庭《にわ》の木戸《きど》へと歩《ほ》を乱《みだ》した。
 が、必死《ひっし》に駆《か》け着《つ》けた庭《にわ》の木戸《きど》には、もはやお蓮《れん》の姿《すがた》は見《み》られなかった。
「お嬢様《じょうさま》。――」
「お待《ま》ち遊《あそ》ばせ」
 しかも、年《ねん》に一|度《ど》も、駆《か》けたことなどのないお蓮《れん》は、庭木戸《にわきど》を出《で》は出《で》たものの、既《すで》に脚《あし》が釣《つ》るまでに疲《つか》れ果《は》てて、口《くち》の中《なか》で菊之丞《きくのじょう》の
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