頃、千二百円でハイヤーを雇い、M海岸まで帰ったが、そこでわが家を指呼の間に望みながらも帰る気になれない。家の下に、淫売宿をかねた飲み屋のあったのを幸い、そこの框《かまち》に腰かけたままで、酒を飲みはじめ、夜中の三時ごろになって、やっと、わが家に帰った。
 帰る途中、畑に顛落《てんらく》して、つき指をしたり、苦心惨憺《くしんさんたん》、やっとの思いで妻子のもとに帰ったのだが、妻は尋常の夫の放蕩《ほうとう》とのんきに思いこんでいるらしく、チクチク皮肉をいうばかりか、子供たちにも私を悪者と教えこんでいた。そこで私の気持は急転直下、妻子を棄てて、桂子と一緒になろうと思い、そのことを妻子に宣言して、再び、東京の桂子のもとに帰った。
 すると妻は子供たちを連れ、すぐ東京の実家に泣きこみにいった。そこで親戚会議《しんせきかいぎ》のようなものが始まる。その席上に、桂子は催眠剤をのんでいった。彼女は私よりも少量でもっとベロベロになる。だから私の姉たちが、子供たちの将来を思い、私のすぐ上の姉の離れの十畳間に、私の妻子を引取ろうというのも承知しないし、五十万円の離縁金で、すぐに妻を離籍しろと強硬にいいはる。
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